政治の話は嫌いだけど
まあ、いっか、独り言と聞き流してほしい。
国会の会期末に、あまりにも遅すぎてタイミングが最悪な、首相問責決議。
史上初とか、民意だとか、マスコミって平和だなー。
えっ、審議拒否っすか。いや、もう国会終わるけど・・・。
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まあ、いっか、独り言と聞き流してほしい。
国会の会期末に、あまりにも遅すぎてタイミングが最悪な、首相問責決議。
史上初とか、民意だとか、マスコミって平和だなー。
えっ、審議拒否っすか。いや、もう国会終わるけど・・・。
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1995年1月17日午前5時46分に起きた阪神淡路大震災から13年の年月が過ぎた。
「震災」という言葉は、関東大震災しか知らなかった。
オイラは、阪神淡路大震災を伝える新聞で初めて「震災」という言葉が当てはまる地震を目にしたのだ。
あれから、人は次の震災に向けて一歩でも進歩することができたのだろうか。
オイラは、子どもの頃、名古屋に育ち、大地震と言えば、東海地震だと思っていた。生まれたのは1968年、今から40年も前だが、小学生、中学生くらいの頃から次に起こる大きな地震は、東海地震だと思いこんでいた。
大学時代、京都に住んだが、近畿地方は地震が少ない場所だから安心という思い込みがあった。
何の因果か、オイラは阪神淡路大震災の前年の1994年に東京に上京し、就職活動で神戸の会社の面接に行ったが、見事に落とされ、結果として今の会社にいる。
ほんの少し運命が変わっていたら、オイラも震災を経験していたかもしれない。
その後も日本の各地で大きな地震が相次いだ。
さすがに「震災」と名の付く地震はなかったが、中越地震では震度7も記録した。数多くの犠牲者があったなかで、肝心要の東海地震はさっぱり来る気配がない。
理屈としては、大地震が来ないということはありえない。関東にせよ、北海道にせよ、九州にせよ、必ず巨大地震は来る。
実際、首都直下地震が来る確率は、30年以内に70%である。
でも、地震が来ることを予知することなんてできない。
地震に備えることはできても、予め察知するなんて不可能なのだ。
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・・・なーんてね、例えば、あるお城が敵勢に攻められて落城寸前。周りは敵兵に取り囲まれ、動揺した家来たちがお城の天守閣をのぼって逃げてくる。
「殿様、もう駄目じゃ」
「降参しましょう」
「このままでは全滅ですぞ」
白旗上げろと懇願する家来たちに向かって城主のお殿様が、
うろたえるなっ!
なーんてね、家来たちが静まりかえる。そこで、お殿様がお城を守るための秘策を思いつく。
かっちょいいよね。
仮にお城は明け渡しても、そこにいたお殿様も含めて家来たちも無事に城を抜け出したりして。どこかで密かに城を奪い返す準備をして・・・。
そーゆー時代劇、ロマンがある。
うろたえるなっ!!
ところで、昨夜未明に落城寸前まで追い込まれた城主が、日本にもいたよね(笑)
最近はテレビの出口調査も充実していて、午後8時きっかりに与野党の勢力分布まで発表されてしまう。
そんな情報を事前に聞いていたんだろうか、投票箱が閉まる前に家来が城主に会いに行って、「どうかこの戦が負けても、お殿様はおやめにならないでください。そのかわり、私が切腹して責任をとりますので」ってな具合だったらしい。
いや、違うかな。
「お殿様、もう限界です。おやめください」と言われ、
「うろたえるなっ!」
って一喝したのかな。
まあ、どっちにせよ、まだ落城したわけではない。本丸は衆議院なわけで・・・(笑)
敵の殿様も、体調万全ってわけでもないらしい。
うろたえるなっ!!!
なーんて、一喝していたら尊敬しちゃうね。
でも、違うんだろーなー(笑)
家来にとっては一世一代の転機かもしれぬ。殿様が、「うろたえるなっ!」って一喝したあと、秘策を出してくれるから、家来も殿様も生き残るわけで、それがタダの逆ギレだったら、共倒れなわけだ。それなら、殿様のクビを取って、敵方に渡して降参したほうがマシだ。
殿様といっしょに切腹ってのも日本的で美しいのかもしれないが、この殿様、家来だけ切腹して自分は生き延びそうな予感もしないでもない。
内閣改造って、要はそう言うことでしょ。
うろたえるなっ!!!!
↑ちょっと癖になりそう。
まあ、こんな殿様だけど、実はオイラは日本が大好き。
日本で生きて、日本で死にたい。
だって、オイラは日本人だもん。←あんまり美しくはないけどね。。。
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またもや、国会議事堂にやってきた。前回は、5月3日、衆議院の特別参観だった。
「日本国憲法施行六十周年記念・衆議院特別参観」に行ってきた。(2007年5月3日)
日本は二院制の議会を持つ国。国会議事堂も、衆議院と参議院の区分けはハッキリしていて、前回の特別参観では、中央部分を除き、議事堂の左半分しか見学することができなかったわけだ。
今回は、衆議院では閉ざされていた中央玄関から堂々と議事堂に潜入できる。こんな機会はめったになってことで、再び国会議事堂へと向かった。
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先日の衆議院特別参観に続き、今日と明日は、参議院特別参観である。
衆議院では左半分しか見られなかったが、今回の参議院で右半分を制覇した。
詳しくは、また今夜。
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今夜、仕事で絡んだ選挙の候補者のお疲れ様会にお呼ばれした。こういうのは珍しい。こっちはあくまで仕事だから、選挙が終わるとそれっきりという人が多い。当選してもそうなのだから、落選したとなればなおさらだ。先日、関係者から会社に電話があり、めったにないことなので、最初はどうしようか迷ったのだが、「では、あくまでプライベートで顔を出しましょうか」ということになった。
そんなわけで、オイラは、いつもの背広姿とうってかわり、帽子にポロシャツ、ジーパンという、あくまでラフな格好。入口を入ると、みんなキョトンとしてオイラの顔を見て、しばらくして、「ああっ」。
前も書いたけど、オイラは、背広を脱ぐと、ただのムトーハくん。政治とは一線を画しているから、こういう場所に入ると、すっかり浮いてしまう。今夜のオイラの顔は、そこらへんを歩いているおじさんと変わらない。
そんな中、まだ20歳を過ぎたばかりの大学生が3人いた。
まあ、こーゆー場所は、たいてい団塊の世代を中心としたおじさん・おばさん軍団なのだが、たまにこういう若い人がいると、雰囲気が変わる。そういえば、3人とも、ずっと選挙カーに乗り、慣れない手つきでビラを配っていたのを思い出した。最初は、おどおどした感じだったけれど、だんだん慣れて、ビラをまくのもうまくなったのだそうだ。
「人生の中で絶対味わうことのない貴重な体験をしました」
そう語る彼らは、目がキラキラしていて、頼もしい表情をしている。
まだ若いうちから政治に関わるというのは、かなり勇気がいることだ。どっかの大政党のように、政治オタクの集団ならまだしも、勝つかどうかも分からない無名の新人を応援するとなれば、まるで巨大な象にたった1人で挑むような虚しさや怖さがある。
そう言えば、オイラも、あんな目をしていた頃があったような気がする。
キラキラ…。
政治は、どうもオイラたちとは縁遠い世界にある。その政治の世界に飛び込むことは、たぶん、余程のきっかけがないと決断できない。オイラだって、仕事だからこうして絡んでいるが、プライベートなら躊躇するだろう。
でも、そんな風に政治から距離を置くと、1人1人が政治や経済を支えようという《ミンシュシュギ》ってやつが実感できなくなる。彼らは、1週間という選挙期間で、勝つことはできなかったけれども、しっかりと“風”をつかむことを覚えたんじゃないだろうか。たぶん、めったにできない体験だったのだと思う。若いうちに、その感覚を持てたかどうかは、その後の人生を左右してくる。きっと、糧になると思う。
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今日は、「憲法記念日」。「憲国記念日」ではない(笑)←1つ前のエントリーを参照
日本国憲法の施行から60年を記念して、衆議院では、今日(5月3日)と明日(5月4日)の2日間、特別参観を実施している。もちろん、議員の紹介がなくても、猫も杓子も、国会議事堂に潜入できる。いつもは近寄りがたい雰囲気の国会議事堂だが、今日は大手を振って、堂々と、あの赤いじゅうたんを踏みしめることができるのだ。
この2日間に限り、議事堂正門前の大通りは、歩行者天国になっている。なので、左のような写真も、道のど真ん中からばっちりと撮影できる。
そんなわけで、オイラは、今日、地下鉄丸ノ内線の国会議事堂前駅に降り立ったのであった。
衆議院HP※PCのみ
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今日と明日の2日間、衆議院では、国会議事堂の特別参観を行っていて、朝からたくさんの人が訪れている。
お馴染みの衆議院議場、中央広間、閣議が行われる大臣室、天皇の御休所などを見学することができる。
「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」
日本国憲法施行60周年の今日、この言葉の意味をそこはかとなく考える午後の昼下がり。
ゴールデンウィークというのに、東京に潜伏しているあなた、シコシコとネットをさまよっているあなた、明日も午前9時から特別参観が行われているので、国権の最高機関を訪れてみてはいかがだろうか。
詳細レポはまた今夜(^.^)/~~~
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特にネタがないので、日本国憲法前文を引用して、今夜は布団に入りたい。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
どーんと引用したが、特にコメントはない。
1年に1度、新聞やテレビの雑音から離れて、無心にこれを読んでみる。
日本人が、日本人である意味を、ただ無心に考えてみる。
「右」とか、「左」とか、難しい政治の話はよく分からない。
でも、オイラは、たぶん日本に生まれてきて良かったのだと思っている。
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正直、政治がどっちを向こうがあまり興味ない。
朝、通勤電車に揺られる30分程度で、何となく政治が分かったような顔になるけれど、夜、再び通勤電車に揺られて、ついでに疲れてウトウトとしていると、目が覚めた頃には、政治なんてどうでも良くなる。
それでも、せっかくの選挙なのだから、投票には行ったほうが良いと思う。
こんな判断基準はいかがだろうか?
(1)党派で消去法をしない。→党派に限らず、良い人は良いし、悪い人は悪い。無党派かどうかは善悪の判断基準にならない。横山ノックが良い例。逆に、党派で一本釣りするのは、それはそれで良いと思う。
(2)法廷ビラは、一言一句を真に受けず、その人の人となり・性格を判断する材料にする。→文字にしたから実現できるほど甘くないが、それを文字にするのが法廷ビラ。過ぎ去った過去にこだわり「実績」「実行力」という言葉が目立つ候補もいれば、「ほんまかいな」ってくらい夢や希望を書き連ねる候補もいる。そういう性格をくみ取る材料にしよう。
(3)宣伝方法が、自転車か自動車かでは、候補者の善し悪しを判断できない。→極悪人でも自転車くらいは乗れる。
(4)会ったことのない人は選ばない。→真面目な候補者なら、普段から定期的に駅頭に立ったり、ミニ集会を開いたり、顔を直接見かけたことがあるはず。選挙になると駅頭に現れて名前を連呼する人は、まず信用しないほうがいい。特に地元の区市町村議員を選ぶときには、大切なポイント。
(5)選びたい議員のタイプを想像しよう。→昔ながらの保守系議員、バリバリの労組出身議員、政党の看板がハッキリしている議員、議員であるという以上には地元との接点がない落下傘議員、行政のチェック機能に特化した「オンブズマン」タイプ、典型的な土建屋議員、いかにも主婦出身のお母さんタイプ…あんまり良い例ではないかな(汗)
(6)一番大切なのは、候補者が、自分と同じ目線かどうか。低すぎず、高すぎない。
オイラは、大学時代、こんなことがあった。
投票日の前日、夜遅く、大学から帰る途中、バスに乗っていたら、あるバスターミナルの入口で、ぽつんと1人だけ、候補者のたすきをかけたおじさんが、道行く人たちに声をかけていた。時計を見ると、午後11時過ぎ。もちろん、拡声器を使わなければ、あと1時間、支持を訴えることができるけど、さすがにギリギリまでやっている人はほとんどいない。
いくら都会とはいえ、周りはすっかり暗くなって、時折バスターミナルに入るバスのヘッドライトに照らされながら、1人1人に頭を下げていた。
そんな背中がどうにも頼もしく見えて、次の日はその人の名前を探したけれど、自分の選挙区にはいなくて、同じ党派の人に1票を入れた。
先日、新聞を読んでいたら、当選者の中にその人の名前を見つけた。
あれから、もう10年以上の月日が流れている。まだ頑張っているんだなって。
難しいことを考えず、まずは投票所に向かうことだと思う。とりあえず、1票入れてみる。意外と気持ちよいもんだと思う。
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最初は、Suicaだった。改札口で、ピッって通る。これが物珍しくて嬉しくて、すっかりお気に入りになった。そのうちショッピングもできるようになったりして、さらに普通列車のグリーン車は、Suicaに書き込むようになったりして…。宇都宮にライブを聴きに出かけたときは、新宿駅の改札口をSuicaで通り、駅弁をSuicaで買い、グリーン券をSuicaに記録し、宇都宮へ。駅構内の餃子屋さんで餃子を食べ、支払いはもちろんSuicaって。この手軽さで浪費を重ねていた。
次は、東急世田谷線の「せたまる」だ。せたまるには、定期券と回数券がある。世田谷線の乗車は1回140円で、せたまるで乗るとポイントがたまる。オイラは、かなり頻繁に世田谷線を使うので、すぐにこいつを買ってしまった。東急世田谷線でしか使えないのが難点だが、ポイントがたまるのが嬉しい。
そして、モバイルEdyである。ケータイを機種変更したら、Felicaの機能がついてきて、さっそく近所のコンビニでチャージして使い始めた。ネット上のブロードバンドビデオなんかでも使えたりする優れもので、ついつい使いすぎてしまう。台場のアクアシティなんかは、Edyが全店で使えるから、オイラはケータイ片手にショッピングを楽しむわけだ。
さらに、昨年になってモバイルSuicaが、クレジットカードの登録がなくても使えるようになった。難点は、駅の券売機ではチャージができなくて、ファミリーマートや駅のコンビニでないとチャージできない。これがやっかいだが、使いにくくても、かっちょいいんだな(笑)ついついこっちにも手を出して、使い始めてしまったわけだ。もう一つの難点は、クレジットカードの登録がないと、普通車グリーン券の記録ができない。結局、オイラは、モバイルSuicaとICカードのSuicaを両方持ち歩いているわけだ。
で、最後に、今月18日に登場したPasmoである。私鉄では初の非接触型ICカード。これは、私鉄で使えるってより、Suicaと相互乗り入れできるところが、オイラが期待していたところだ。今まで、SuicaでJRに乗り、私鉄はパスネットを使っていた。それが、1本に絞ることができるなら、こんなに便利なことはない。オイラの財布で増え続けるICカードは、もう増やす必要がないのではないか。
ところが、オイラは甘かった。
Suicaで私鉄に入場して、途中から私鉄の定期券の区間に入り、降車駅でSuicaと定期券で清算することはできないのだ。こういう使い方をしたいときは、最初にPasmoの定期券を買い、チャージしておき、私鉄の駅から入場し、私鉄の定期券の区間に入り、降車駅で改札口を降りるとき、同時に清算してくれる、ということになる。2種類のICカードを同時に使ったり、Pasmoの領域で、私鉄の清算をSuicaでやるってことはできない。オイラのばやい、定期券は普通の従来のやつで、モバイルSuicaを使って入場し、降車駅で定期券を改札口に入れると、アウトになる。このときの清算は、モバイルSuicaではできない。
結局、オイラは観念して、Pasmo定期券に切り替え、Pasmoにチャージすることになってしまった。
そんなわけで、オイラの手元には、Suicaカード、モバイルSuica、モバイルEdy、Pasmo、せたまると、5種類のICカードがあるというわけだ。それぞれ、オイラなりの使い道があるのだけど、現金で買えないものはないわけだから、一番便利なものだけ1枚持っていればいいのだと思う。さすがに5枚あると、全部にそれなりにチャージしているから、どうも出費が多いような気になってしまう。
この非接触ICカードって、これまではいろんなカードを使い分けていたけど、これからは1枚のカードでどこでも行けるよってのがウリじゃなかったっけ? 買えないものはどこにもないっていうICカードってないのだろうか。てか、それじゃあ、市場原理が働かないか。皆さんは、いったいいくつのICカードをお持ちだろうか。
そこで教訓。
ICカードは、TPOを考えてから買おう。
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驚いたなんてもんじゃないが、オイラ名義の株があることが分かった。もう、何年も前のことである。証券会社の人に迷惑がかかってはいけないので、あまり難しいことは書かないが、どうやら母親は、オイラ名義で株取引をしていたらしい。それが、実質的にオイラ名義の株になった。ここはあまりつっこまないでほしい。証券会社の営業マンも、何となくここは通り過ぎるほうが良さそうな雰囲気だった。あの母のやることである。触らぬ母に祟りなし、である。
一言だけ書いておけば、オイラは、証券会社に口座を持った覚えがないのに、取引経験10年のベテランらしい。
何の株かというと、中国株と、某造船会社の株である。ここがややこしいのだが、中国株は、訳あって、いじることができず、放置プレイである。本来、オイラの名義なのだから、何をどう売ろうが買おうが勝手なのであるが、営業マンも、あまりつっこまれたくないらしい。オイラも同じである。あの母がやることである。触らぬ母に祟りなし、である。
さて、某造船会社であるが、最近はもう、船を造っていないらしい。
じゃあ、なんぜ造船会社を名乗るのか、そこがよく分からないが、何年も配当が出ていないし、最近はオイタが過ぎたらしく、内部の人が捕まったりして、株価は低迷を続けている。オイラは、株取引には興味がなかったので、名義がオイラになってからも、ほとんど放置プレイに処していたのだが、その間に、上がったり下がったりしながらも、結局、果てしなく下がりきってしまった。
普通、底をつけば、“買い”なんだろうが、この会社を見る限り、買うのは避けたほうが無難なようだ。
何となくそれに気づき、こりゃやばいなあと、売ろうと思ったのだが、普通に株の取引をしようとすると、やたらと面倒である。
なわけで、証券会社のネット口座を開設することになった。
で、今夜、速攻、「指し値」で売り注文。
株のことはさっぱり分からないので、マニュアル本を買うことにした。
もちろん、そこは、オイラのことだから、眞鍋姉さんにご教授願うことになった。
『眞鍋かをりと松本大のいちばんやさしい株のはなし』『眞鍋かをりと松本大のいちばんやさしい株のはなし2』(日本経済新聞社)の2冊。
「チカラを抜いて、スローな投資生活を始めよう」
…だって。
おそらく、母親がこの株を買ったとき、船を造らない造船会社は、まだ船を造っていて、株価は今の何倍も高かったのだろう。そのすべてを取り返すことはできないが、のんびりと投資っぽいものをやってみて、株ってものを楽しんでみようと思う。
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私が初めて「戦争」の記憶に触れたのは、小学生の低学年くらいだったと思う。祖父は、何がきっかけなのか忘れたけれど、ある日、祖父の部屋で私を前に突然、戦争の話を始めた。
私の祖父は、戦時中は学徒動員で、名古屋にある飛行機工場で働いていたという。戦況が悪化し、本土の大都市が空襲を受けるようになり、名古屋も例外ではなく、B29の爆撃を受けた。祖父の働く飛行機工場は絶好の標的だっただろう。何度も米軍の爆撃を受けて、祖父たちは爆雷を避けながら防空壕へと逃げたという。その日も、工場で働いていると、空襲警報が鳴り、「空襲警報発令」と何度もアナウンスがあり、祖父は必死に防空壕へと走った。上空には、独特の轟音をとどろかせてB29が飛んでいて、工場の周りにも爆弾が降った。途中、祖父の友達が倒れているのを発見して、抱き起こしたが、ひどい傷だった。祖父は、「がんばれ」と励ましたが、上空からは次々と爆弾が落とされていた。このままでは自分が死ぬ。祖父は、友達をそこに残したまま、「必ず帰ってくるからな」と言い残して、防空壕へ走った。友達は、「助けてくれ」と叫んでいた。走る祖父の背後で、ついさっきまで友達が倒れていた場所に爆雷がとどろいた。
この話をしているときの祖父は、静かで淡々と語っていた。涙を見せる様子はなかったが、遠い記憶を呼び起こすように、遠い目をしていた。
祖父がそう語ったのか、私が勝手にそう悟ったのか、今は覚えがない。そのとき、私は、「戦争はしてはならない」と思った。それは、今もずっと続いている。祖父は平和主義者ではない。右翼でも左翼でもない。が、祖父の目には、戦争の悲劇がしっかりと刻み込まれていて、おそらく、その記憶を消したくても、焼き付けられた記憶が消えることはなかったのだろうと思う。
祖父は、私の大学時代、ある日突然、実家を飛び出して、それ以来、消息は分からない。生きているのか、死んでいるのか。
今日、8月15日。日本が忘れたくても忘れられない、60年目の夏がやってきた。
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私が生まれて初めて一人旅をしたのは、中学1年生の夏休みだった。名古屋から新幹線に乗り、新大阪へ。新大阪から寝台特急あかつきのB寝台車に乗り、長崎へと向かった。本当は北海道に行きたかったのだが、たまたま旅立つ日には台風が関東地方を襲っていて、仕方なく南へ進路をとったのだ。なぜ長崎かと言えば、やはりそれは、原爆の被爆地だったからだ。
私の家は、家族が平和運動をやっていたこともないし、学校も特に平和教育を熱心にしていたわけではない。なのに、この夏、長崎へ行き、その翌年には広島を訪れているのだから、私と広島・長崎をつなげるものは運命的だったとも言える。もしかすると、実物を見ないと納得できないという性格は、この頃から顕著になっていて、こうして記者をやっている源流のようなものもここにあった気がする。
もう、15年も前のことになる。暑い長崎駅の改札口を抜けて、私は路面電車に乗り、原爆落下中心地へと向かった。当時、原爆資料館はまだ古かったが、残念ながら、その日は月曜日だったので休館日だった。平和公園を歩いて、平和祈念像を見上げた。幼い私には、像の意味はあまり理解できなかったが、一瞬で7万人を殺した原爆がこの頭の上で炸裂したかと思うと、身震いした。
あれ以来、長崎へは何度も足を運んだ。私のお気に入りの街である。小浜・雲仙の温泉、ハウステンボス、異国情緒漂う街並み・・・。
長崎は、第2次世界大戦に終止符を打った被爆の地である。広島と比べて影が薄い気もするが、今この一瞬の平和は、長崎からつながっていると思う。あれから60年間、核兵器は二度と戦争で炸裂することはなかった。
私たちの「今」は、ここから始まったのだ。
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私が初めて広島を訪れたのは、中学生のときだった。きっかけは、テレビで原爆の特集をやっていて、子ども心に衝撃を受けたのだ。その頃の私にとって、日本史とか世界史は、物語とレベルが変わらなかった。自分の生活とは遠いものだったし、一瞬のうちに何万人も殺してしまった原子爆弾なんて、リアリティがなかった。どうしても私は、自分の足で広島に立ち、実物の原爆ドームをこの目で見たかった。その夏、貯金していたお年玉をしこたま放出して、新幹線に飛び乗った。
当時、名古屋始発のこだま号、広島行き。
広島駅を降りて、駅前から路面電車に乗った。10分くらいして、車窓の右側に広島市民球場、左側に原爆ドームが見えてきた。
原爆ドームを目の前にして、私はただただ、ぼう然と立ち尽くしていた。どうすることもできずに、持っていたカメラのシャッターを切り続けた。その後、平和記念資料館を一通り回った。展示から、初めて原爆の惨状を目の当たりにした。被爆者たちの体験談を読み、愕然とした。資料館の前にある石碑に、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻んであった。繰り返さないためには、どうしたらいいのか。中学生の私には、さっぱり分からなかった。世界には、私たちの力ではどうすることもできない脅威があることに気づかされた。
それ以来、「核兵器廃絶」は、私の人生に背負わされた大切な言葉である。
私たちにできることは、何か?
鶴を折る人もいる。署名を集める人もいる。祈る人もいる。デモ行進をする人もいる。歌を唄う人もいる。演説する人もいる。
答えは無数にある。どれが正しくて、どれが悪いとは言えない。
私は、とりあえず、こんなblogの片隅から言葉を残したい。
いかなる規模のいかなる数の核兵器を保有する国と団体へ。核兵器をすぐに廃絶してください。
そして、原爆の犠牲となり亡くなったすべての被爆者の皆さんへ。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
To the country and organization who possess the nuclear weapon of what kind of number of what kind of scales Please abolish nuclear weapons immediately. To and you, all the A-bomb victims that fell victim to an atomic bomb and passed away "-- please sleep peacefully -- since fault does not repeat -- "
地球の空に、キノコ雲はいらない。「そらめく.com」は、核兵器のない平和な空を目指し、そのための大切な言葉を発信していきたい。
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