9月に、たった1日だけ名古屋に里帰りした。すっごい昔の話になってしまって、当時、このブログでは、名古屋に帰ったことだけを書いただけだった。あれから、いろいろなことがあって、でも、このブログで言い残していたと思って、今夜急に、その話を書くことにした。
前々日に、父親からのメールを受け取り、母方の祖母が亡くなったことを知った。
祖母は、90歳を超えていた。4人の娘を育て、長女の家に婿養子を迎えていた。祖父は、オイラが大学時代に亡くなった。婿養子は数年前に突然死で亡くなったが、残された長女と孫夫婦に囲まれて、幸せな生活だったらしい。衰えたとはいえ、元気そのもので、毎日近所の喫茶店にコーヒーを飲みに出るのが日課だった。何年か前、つまづいた拍子に足を骨折して、車いす生活を続けていたが、リハビリを欠かさなかった。
オイラは、小さい頃から、彼女の世話になってきた。父方の祖母は、祖父に虐待を受けていたので、身体も小さく、オイラが中学生のときに胃ガンで亡くなった。母方の祖母は、身体が大きくて、どっしりしていたので、「大きいおばあちゃん」と呼んでいた。優しくて、度胸満点の祖母だった。
オイラにとって、彼女は、祖母であり、母であった。母としての優しさは、母からではなく、彼女から教わった。甘えること、叱ってくれること、寄り添ってくれること…。オイラは、典型的なおばあちゃん子だったと思う。母が母としての役割を果たせないとき、彼女は、オイラの母であり続けた。
それは、たぶん、彼女の産んだ4姉妹の子どもたちは、すべてそうだったに違いない。
久しぶりに名古屋に帰省し、孫たちに出会って、それを痛感した。
母は、孫たちのビッグマザーだったのだ。
その日は、突然やってきた。
リハビリの一環として、お泊まり介護に出かけた祖母は、トイレで倒れた。ほとんど苦しまなかったらしい。オイラの母は、連絡を受けて、病院に駆けつける途中で、彼女の死を知った。だからなのか、彼女の死に顔は、実に穏やかだった。普通に眠っているようで、今にも目を覚ましそうだった。
朝一番の新幹線で、オイラは告別式に向かった。
あの頃、2両編成のオンボロ電車しか走っていなかった片田舎だったのに、今では、最新型の電車が地下鉄と直通運転していた。田んぼに囲まれた平和な町だったが、今では住宅街に変貌していた。
告別式の会場には、始まるギリギリの時間に駆け込んだ。
何年かぶりの両親。そして、たぶん20年ぶりくらいだろうか、親戚一同がそろっていた。次女の3兄弟のうち、2人は東京に住んでいるらしい。意外に近くに住んでいた。次女が、「一緒に帰ればいい」と言ったが、笑ってごまかしていた。
祖母の産んだ4姉妹は、いっしょのようで、いっしょではなかった。ほとんど会話を交わしていないことに気づいた。オイラの母は、三女にあたる。一番浮いていることも分かった。長女の婿養子が脳卒中で亡くなったとき、オイラの母は、闇金から逃げていて、行方不明だった。隠しているつもりだろうが、みんな事情を知っている。それがよく分かる。
孫たちは、みんな逃げたがっているのがよく分かった。名古屋は、故郷であると同時に、悪夢がたくさん眠っている。思い出したくない思い出がたくさんある。
思えば、名古屋から逃げ出して、19年の月日が過ぎていた。彼らもみんな、悪夢から抜け出した顔をしている。彼らをつなげたのは、祖母だった。逆に言えば、祖母がいなくなれば、彼らはつながる必要も失った。母とのつながりは、母がいる限り消えないが、少なくとも、親戚とか親類という煩わしさからは解放される。
そんな感じだったんじゃないだろうか。
それは、4姉妹も同じだったらしい。
四女が母に、ケータイの番号を教えろと言ったのに、母は、「仕事が忙しいから電話には出ない」と、意味不明なことを言って断っていた。この人は、自分が育った家系から離れるつもりでいるらしい。祖母が亡くなり、「もうこれで、ここに来なくてすむ」と思っている。
みんな、偉大なるビッグマザーの死を、「関係」の消滅だと思いこもうとしていた。
でも、「関係」から逃れることなど、できるんだろうか。
オイラたちは、いつも家族がつなごうとしていた「関係」を、新たな家族や社会でも模倣しているのではないだろうか。
親の敵を会社でうつ…そんな言葉を思い出した。
「関係」から逃れることなど、そんな簡単にできない。
オイラだって、両親の「関係」からは、逃れたくても、逃れられない。どこかで、両親を真似ている。
名古屋から東京に帰ってきて、ふと気が抜けたようにホッとした。
あのレンガ造りの東京駅を見たら、何年かぶりで故郷に戻ったような感覚に陥った。
オイラは、東京で、また「関係」を築いている。
たぶん、あの偉大なるビッグマザーが教えてくれた「関係」なのだと思う。
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