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2009年1月17日 (土)

阪神淡路大震災から14年〜日本が失ったものの大きさと重さ

ニフティが、「ココログニュース」というくだらないサービスをやっている。

派遣村はどこへ向かう?(ココログニュース)

「全国からの熱い視線が注がれた「派遣村」。セーフティーネットの必要性をアピールする上では、大成功を収めたといっていいだろう。しかし、元派遣社員以外 の人が集まったり、関係のない思想宣伝も指摘され、その存在意義を問う声があることも確かだ。目的が逸脱してきてはいないのか。」

派遣村の成功は、セーフティーネットの必要性をアピールしたことではない。少なくとも、あそこに集まった人たちが餓死もしなければ、自殺することもないし、年末年始、屋根のある場所で、食べることに困らなかったということ。日比谷公園という場所を選んだことで、日本に現実に存在する「貧困」から、政治やマスメディアが目をそらさなかったこと。

湯浅誠村長は、貧困は政治の問題だとハッキリ語っている。共産党だけやけに目立ったのは、問題が大きくなるまでは、派遣村の問題をクローズアップしてきたのが、「赤旗」以外になかったからだ。他のマスメディアは、いったい、どこで何をやっていたのか。何故、無視してきたのか。

たかだか共産党の煽動なら、厚生労働省が講堂を開けることもなかったし、石原慎太郎が国を批判することなどなかったのだ。

生活保護を申請するのは、国民の権利。それが認められるかどうかは、別の問題。申請を拒否するのは、ただの違法行為だ。彼らが区役所に行かなかったのは、単独で福祉事務所を訪れても、「水際作戦」で申請すらさせてくれない可能性があるし、実際そうだからだ。生活保護は恥ずかしいという意識は、金持ちだけではなく、貧しい人も持っている。

それはともかくとして、この記事を書いた秋井貴彦という記者は、ココログを運営する立場としての政治的公平性を意識して記事を書いているのだろうか。

オイラたちは、ココログの政治思想に共感しているのではなく、ココログのサービスに満足して利用しているのだ。それが、いろいろと意見を読んでいるようなふりして、1つのブログの主張だけを正しいと強弁しているのは、どういうことなのか。しかも、「目的が逸脱している」という主張を裏付ける検証は、ブログを読んでいるだけで、まったく行われていない。

何故、1つのブログしか引用していないのか。しかも、引用しているブログは、ココログではなく、ライブドアである。

本当は、秋井貴彦が、派遣村を罵倒したかっただけなのではないか?

最近、こういうネットの掲示板やブログの発言を流し読みして、適当な記事をまとめるニュースサイトが増えているけど、ほんとにくだらない。人の書いたものをまとめて商売せんでほしい。巷で売っているスポーツ芸能誌ですら、ブログを丸写しして記事を書いていることがある。

こういうサービスはいらん。即刻やめていただきたい。

今日は、阪神淡路大震災から14年。思えば、14年前、ブログなんて媒体は存在していなかった。

インターネットという概念すら希薄だった。ケータイ電話はすでに普及を始めていたが、iモードはまだなかった。固定電話が震災で使えない中、ケータイ電話が使えたので、災害時のケータイ電話の役割が指摘されるようになった。

パソコンはすでにあったが、パソコン通信で、画像や動画はやりとりできず、テキストだけのコミュニケーションだった。

オイラが仕事しているときは、ワープロを使っていた。

ボランティアという存在が、大きくクローズアップされたのも、阪神淡路大震災だった。

今、派遣村を罵倒している田中康夫も、当時は、神戸で市民活動に携わっていたのを覚えている。

ノスタルジーに浸るつもりはないが、あの頃が懐かしい。当時は、見ず知らずの人たちが集まって、神戸を助けよう、それだけで良くて、そこには政治も宗教も、あまり関係なかったのだ。被災者支援や復興のあり方を巡っては、政党同士で激しい議論があったけれど、あそこでボランティアをしている人たちは、それぞれに、それぞれの思惑があったんだろうけど、それは社会にとってどうでも良かったのだ。

あの大きな震災を経て、日本人はずいぶん、強くなったような気がしていた。

天皇陛下が今年の元旦に、「人々の絆を大切に」とおっしゃっていたが、あの頃は、血縁でも組織でもない、人間どうしの不思議な「絆」を感じていた。

それが、いつの間にか消えたと感じるようになったのは、インターネットが普及してからだ。

某巨大掲示板が、好き放題に違法行為を野放しにして、ブログという自己陶酔型の拡声器が、ネットのあちこちで騒音をまき散らしている。そして、それを「ニュース」と称してまとめるアホなニュースサイトがある。あたかも、世論であるかのように。

じゃあ、何でお前、ブログ書いているんだと言われそうだが、理由なんてないのだ。ただ、ひたすら、発散しているだけだ。

ネットに絆が存在するとは、欠片も思っていない。

あるのは、テキストの塊。

だから、オイラは自分のブログが優れているとか、他人より評価されるものとは思っていない。

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コメント

明日の午前中で、1月17日関係は終了。
紙面を埋める目的で掘り漁られた「人間ドラマ」。紙面の上で、画面の上で、消費され、「忘れない」と書いたやつは忘れてしまう「悲劇」。
スケジュールと化した阪神淡路大震災の追悼。それがこの13年間にマスコミがやってきたこと。
mori-chiさん指摘の通り、災害は今そこに、明日ここにやってくるかもしれないのに、阪神淡路大震災の教訓は、マスコミ的には明日で棚上げされる。来年の正月明けまで。
しかし、読者が、視聴者が求めるから、需要があるから供給しているんだよね、マスメディアも。
素晴らしきかな我が祖国。ネットじゃこれを自虐と言うんだったっけ?

投稿: 陸壱玖 | 2009年1月18日 (日) 00時04分

こんばんは。

関西では、いくつか震災関連の特番もあったようですが、関東では、NHKの1本だけ。しかも、土曜日だったので、ニュースで現地の追悼を数分伝えるのみ。今日にはみんな、忘れています。

昨日、防災グッズを買いそろえました。一人暮らしとはいえ、備えあれば憂いなし。それにしても、水に消費期限があるなんてちょっと不思議です。

投稿: mori-chi | 2009年1月18日 (日) 23時31分

どっちかと言うと、「帰宅難民化」の方が状況的に辛い様な。
愚生の場合勤め先から二十キロほど。京街道、一号線が悲惨な状況でなければ、6時間ほどで帰り着けますが(実証・実地済み)。
そちらは、大和の46サンチ砲の砲戦距離位あるんじゃないですか?
多摩川とか、道中も険しそうだし。
さて、寝床とか、普段居る場所から玄関までに、水屋とか、ガラス張りのドアとかある人は、靴か、底のシッカリしたスリッパ位は身近に置いた方が良いかもしれません。意外と盲点なんでお薦めします。

投稿: 陸壱玖 | 2009年1月19日 (月) 01時53分

こんばんは。

帰宅困難者対策は、「どうやって帰るか」から「無理して帰らない」に変わりつつあります。新宿近辺で働いているので、震災が起きれば、交通機関が復旧するまで、新宿区の避難場所にしばらく身を寄せることになりますね。

一度、歩いてみようかとも思ったんですが、相方が自宅で待っているならともかく、帰っても誰もいない自宅に向かって急ぐこともないかなと。

ですので、今回買った防災グッズは、あくまで自宅で被災したケースで使うってことになります。

投稿: mori-chi | 2009年1月20日 (火) 00時16分

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この秋井貴彦によるココログニュース「民放テレビ、実は国営?」に釣られたようだ。 [続きを読む]

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