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2008年10月 7日 (火)

地下のオカルト作家・秋庭俊先生『大東京の地下400年 99の謎』(二見文庫)を読む4

地下のオカルト作家・秋庭俊先生は、最初、直線にこだわっていた。現代の地図や「GHQの地図」を広げると、おもむろに定規を取り出し、直線を引っ張る。秋庭先生の地下道探索法は、現場を歩くことではなく、まずは地図だし、最後も地図である。

そのうち、いつの日からか、「五角形」が登場するようになった。

この本は、五角形の集大成とも言えるものだが、本の後半に入ると、すでに五角形とは何の関係もなく、旧著の焼き直しが並ぶ。

『大東京の地下400年 99の謎』(二見文庫)

さあ、いってみよー。今夜は、ちょっとだけね。

59 新宿駅の地下道は「帝都復興」のシンボル的存在だった!

「あの明るい白いタイル張りの新宿駅の地下道は、機械文明の明るい氾濫だ」と当時の新聞が報じている。それまで国家機密として公にされることのなかった地下道が、初めてマスコミの脚光を浴び、市民が早朝から深夜まで間断なく行き来することになったのだ。(P149)

あのね、話は順番に進めよう。「国家機密の地下道が、初めてマスコミの脚光を浴びた」というのは、間を抜かしすぎだ。地下道が、国家機密から、人が行き来する地下道へと変わったのは、どういうことなのか。勢いで書かないでくれ。そもそも、どこのことなのか。

ちなみに、地下道が帝都復興のシンボルだったのではない。下町や都心が震災で壊滅し、東京市民が山手地域、つまり東京の西へと移住したのだ。新宿が繁華街として発展する契機となったわけだ。

60 庶民の足「市電地下鉄」は、なぜ消えた?

市電が地下を走っていたのだろうか?(P151)

これは計画路線だから、走っていないんだが、仮に走っていたとして、前後が陸上を走る市電なら、極秘にしたくてもできない。

仮に新宿三丁目から分岐線が、かつて大ガード下まで延びていたとすると、戦後、都営新宿線が開通したことで、その線路は使えなくなったはずだ。(P151)

初心者にも分かるように説明しよう。秋庭先生は、「都営新宿線は戦前からあった」と主張したいんだよね。そう書かないと、読者はついてこれないよ。

新宿三丁目から分岐線が大ガード下まで延びていたという話が、急に出てきていて、これもついていけない。「市電地下鉄」は確か、大ガードではなくて、丸ノ内線が戦前にあった証拠じゃなかったっけ?都営新宿線の話はどうしたの?

大ガードに近い新宿プリンスホテルの地下には今駐車場があり、新宿三丁目のアドホックの地下にある駐車場と地下トンネルでつながっている。(P151)

新宿プリンスホテルには駐車場はない。靖国通りの地下には、サブナード駐車場があり、ホテルの宿泊者が利用することができる。

新宿サブナード駐車場・場内図

私には、内務省の地図には描かれたことはないが、極秘の市電地下鉄「市営軌道」が新宿の地下を走っていた、と思えるのだが。(P151)

あらま。『新説東京地下要塞』では、「都営軌道」とおっしゃっていたが、「市営軌道」に変更された。しかも、「内務省の地図には描かれたことはない」という前置きの意味がさっぱり分からない。だから、どうした。

16 東京市の地下鉄は、昭和の初めに線路を敷き終わっていた?

帝都復興のとき、地下鉄計画が現実にあって、予算さえあれば工事をスタートできる段階まで来ていたのだ。当然、工事が具体化された場合の研究がされていて当然だ。しかも、東京市の5路線は認可されていたわけで、国が東京市の起債を認めさえすれば、ゴーサインだったのだから。

東京の地下が明るみに出ることを恐れた陸軍が、あの手この手を使って「地下鉄は建設されていない」という情報を流し始める。(P153)

具体的には、どういう情報なの?陸軍が地下鉄を隠蔽しようとしたとして、作ってもいない地下鉄を「建設されていない」とコメントしたら、逆に「建設している」と公言しているようなもんだ。殺人や放火の犯人が、わざわざ聞かれてもいないのに「私はやっていない」と叫び始めたら、即刻任意同行をかけられるでしょ。

東京市の地下鉄建設のための起債が国から却下されてしまう。(P153)

それが、事実。秋庭先生が知っている通り、起債が却下され、地下鉄は建設できなくなったのだ。「却下された」のは、情報ではなく、事実だから、陸軍のシビリアンコントロールではない。

62 昭和通りの地下にも「市電地下鉄」が走っていた?

1924年に認可申請が出された東京市の地下鉄建設計画は、1億9000万円の巨費を投じながら何も建設されなかったとされているが(P154)

東京市が6路線の認可を申請したのは、1925年1月。その後、内務省は5路線の建設を決め、そのうち4路線の免許を東京市に与える。

では、実際の建設はどうだったかというと、項目の61で秋庭先生が書いていた通り、地下鉄建設のための起債が国から却下され、建設できなかったというわけだ。

63 地下深くを一直線に貫く「街路」はどこにある?

さあ、始まった。

「ラインを引いて」「ラインを引き直した」「ラインを西にまっすぐ延ばすと」「ラインを延ばすと」・・・

秋庭先生の地下道探しの真骨頂、地図を縦横無尽に踊る定規

帝都復興計画の街路がどのようにイメージされたのか

秋庭先生のバイブル『近代日本建築学発達史』はこう読め

64 新橋、高輪から五反田につながる「街路」の謎

地下変電所は、単独で存在することはない。「地下」なんだから、地上に何かあると考えるのが普通だ。

実際、豊島変電所はサンシャインシティの地下にあり、高輪変電所は寺院の地下にある。ちなみに、図書館の地下なんてのもあるそうだ。都心の空き地が少ないため、地上の施設を建設する際に、地下に入れていただくというわけだ。

「という仮説を立ててみた」という言葉の次に、「すると」が来る。こういう仮説を立てると、こういう仮説になる、という組み立て方の典型である。文章の最後は、「ということになる」と、仮説を積み重ねた結果が来る。「である」ではなく、「ということになる」と書くのは、脳内でしか組み立てられていないからだ。

65 「街路」は今でも、政府専用の秘密地下道なのだろうか?

完成しなかった道路計画をもって、「秘密地下道」だと言い出すと、日本中のたいていの都市は、秋庭先生の想像をはるかに超えた地下道が広大に広がっていることになる。東京の多摩地域なんて、都市計画道路の整備率はたかだか50%そこそこだから、そりゃもう、想像を絶する極秘地下道が網の目のように広がっている。

何一つ地下道を見つけられていないが、道路計画の図だけを見せて、「立ち退きがなかった」という、例によってバイブル『日本近代建築学発達史』から都合の良い箇所だけ抜き出して、東京全体にあてはめる。1つの場面にしか使えないたった1行の文章をもって、すべてにあてはめて、極秘地下道の根拠とする。詭弁の典型的なパターンである。

それはちょうど、アポロの窓から光が見えたというだけで、壮大なUFOの物語を語るのと、同じである。

66 戦後開通の都営浅草線は、昭和の初めに一部の線路が敷かれていた?

千住大橋から一直線に延びる「街路一号」は、地下をさらに品川まで延びている。(P161)

そういう妄想をしたのは秋庭先生だけで、秋庭先生が自ら定規で地図に千住大橋から直線を引っ張った結果である。「地下をさらに」とは、秋庭先生が地下だと思っただけで、実際には定規以外の根拠はない。

定規で引っ張ると、直線の上には公共施設がズラリと並んでいた。市民の住宅がほとんどないのは当然で、都心の真ん中に普通に民家が立ち並んでいることなどあり得ない。

このルートは「帝都復興」事業では下水改良ルートとされていた。(P161)

「下水改良ルート」というネーミングは、秋庭先生が自著で初めて使い始めた言葉で、秋庭先生以外、歴史上誰一人として使ったことはない。

今夜は遅いので、これにて。

(関連サイト)

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