地下のオカルト作家・秋庭俊先生『大東京の地下400年 99の謎』(二見文庫)を読む1
これまで、いろんな本を読んできて、「詳しくは、○×を読んでいただきたい」と書いてあった場合、○×はその本よりも発行時期が過去だった。でなければ、発行されていない本を紹介されても、読者は困ってしまう。
地下のオカルト作家・秋庭俊先生は、この辺、さすがである。
詳しくは角川書店から刊行予定の私の著作をお読みいただきたい。(P70)
恐るべし。
刊行されていない本を読めと言う。
てか、文庫本でネタばらしして、角川で何を書くつもりなんだろうか。
そんなこんなで、いってみよー。
1 都心の道路地下から戦国時代の「街道」が発見された!
江ノ島の頂上からは、大昔の植物園の遺構が発見されている。遺跡というのは、たいてい埋まっている。
2 遺跡調査が、太田道灌の「江戸城」が消えた謎を解いた!
「地下鉄7号線溜池駒込間遺跡調査会」の遺跡調査は、もうひとつ大きな成果をあげている。それは調査結果から現在の皇居、かつての江戸城の地層断面図を描き上げたことだ。(P17)
こう書いているのに、19ページの地層断面想定図は、調査会の報告書ではなく、『新編千代田区史』である。
徳川家康が、太田道灌の「城を埋めた」と書いているが、断面図のどこを見ても、城は埋まっていない。城があった場所は埋まっているが。盛り土をするとき、旧地盤面にある建物を放置したまま盛り土するだろうか。
3 江戸の町はなぜ「盛り土」と「埋め立て」でつくられたのか?
家康は、オランダの築城術を導入して、江戸城建設とともに江戸の町を密かに「都市城塞」にしている。(P21)
オランダの築城術を導入したかどうかは後に詳しく述べるとして、密かに行う必要などあっただろうか。いったい家康は、誰に対して秘密にしなければならないのか。城をどう建設するのかなんて、誰に伝える必要なんてない。この辺に、秋庭先生の時代錯誤がある。
都市城塞は建設すれば、都市城塞と分かるもので、秘密にする理由がない。
4 川をせきとめ、地下に潜らせてできた「上水」の謎
秋庭先生は勘違いしているが、四谷大木戸から江戸市中へと流れた上水路は、確かに地下にあったが、非常に細いものだ。木桶で、猫やネズミが通れても、犬はチワワくらいの小型犬しか通れない。秋庭先生が大好きな、南北線の遺跡調査の際にも、玉川上水の遺構が出てきて、それが新宿区の新宿歴史博物館に保存されている。
地下水路は、将軍をはじめ幕臣たちの生命にかかわる飲料水を確保するためのものだったことから、軍事的にも機密扱いされたことは理解できる。(P22)
ご冗談を(笑)上水は、一般町民も利用するよ。江戸の人口が増え続けて、水が足りなくなったから、玉川上水が必要になったのだよ。流れている場所を公表しなかったら、水をどっからくみ上げたらいいのか分からないでしょ。
5 大名屋敷の境目に発見された大きな溝は「地下道」か?
玉川上水の敷設と、地形の変更をともなう大規模な盛り土による造成工事は、並行して行われた可能性が考えられる。(P24)
年代的に完全にずれている。重なることは考えられない。そもそも地下水路は、猫とネズミが通れる程度のもので、大規模な造成工事とは何の関係もない。
玉川上水の地下トンネルが2段重ねになっていて、上は「上水」の水路として使用し、下は「抜け穴」として使われていたのではないだろうか?(P26)
2段重ねにするほど、玉川上水の水路は大きくない。てか、2段に重ねる必然性がない。
6 井戸掘りが見つけた「地下の横穴と地下屋敷」の謎
フィクションとノンフィクションの違いも分からなくなったら、脳みそがやばい。
7 国会議事堂裏の地下防空壕に「木造の家」の謎
「上水」といえば、玉川上水の水路は、国会議事堂付近まで延びていたことがわかっている。(P28)
国会議事堂の裏は、山の頂上にあたる。ここに玉川上水を延ばそうとすると、水は上に向かっては流れないので、かなり地下深くになってしまう。そう、例えば地下鉄千代田線のように。上水として利用価値はあるだろうか。国会議事堂裏まで上水を敷く必然性がないのだ。
何度も繰り返すが、仮に「穴」があったとしても、猫とネズミしか「抜け」られない。
8 江戸城から脱出する「抜け穴」や「地下道」の出口はどこ?
上野介はどうして屋敷の外に逃げられる抜け穴を持っていなかったのだろうか?(P30)
秋庭先生のおっしゃる通り。「抜け穴」などなかったのである。
9 家康はなぜ、江戸に幕府を開いたのだろうか?
当時の江戸は一面に原生林と湿原が広がっていて、城づくりを妨げるものは何もなかった。(P33)
秋庭先生は最初、太田道灌の江戸城の上に、江戸時代の天守閣があったと書いているではないか。太田道灌は、原生林や湿原の真ん中に城を築いたのか?
10 江戸城はオランダの「築城術」に学んでつくられた?
もしかして、日本にも武器と築城術を売りに来たのかもしれない。そして、家康との商談が成立し、江戸城の設計にオランダ式築城術が採用されたのではないだろうか?(P35)
たった2行で人を納得させるのは無理というものだ。
いつ、誰が、どこに来て、家康と商談したのか?
何も書いていないが、秋庭先生のやっかいなのは、次の項目に移ると、この妄想を「事実」として扱い始めることなのだ。
11 「城を囲む水」と「地下空間」こそオランダ式築城術
兵力を増員したり、大砲を移動したりして集めるために、人と大砲を自由に動かせる地下道網が最初からつくられていて、城の中心には広大な地下空間が広がっている。(P36)
この辺は秋庭先生の妄想だと思うが、近々、築城関係はまとめようと思う。
ここでは、大切なことだけ指摘しておきたい。
ナールデンは、六角形である。
12 発見!ドイツにも江戸にそっくりの城塞都市があった!
さて、困った。オランダの築城術を話していたのに、今度はドイツに飛んだ。
ナールデンには、地下空間がある。→江戸とミュンスターは似ている。→ミュンスターは最新の築城術を使っている。→江戸城に2人の外国人が関わっている。→江戸城のお濠には地下空間がある。
1つ1つの仮説は、まったくつながっていないが、1冊の本で並べると、あたかもつながっているかのように読める。
これを見たとき私は、「江戸に似ている」と、直感的に思った。(P39)
ここでも、直感が、次の項では「事実」として扱われる。
よくよく読んでいると、ミュンスターが似ているのは、江戸ではなく、森鴎外の「東京方眼図」である。しかも、秋庭先生の直感である。
秋庭先生は、五角形の築城術と、江戸を結びつけることができず、ここで一気に飛躍をしている。本来、ここが一番大切なのだが、森鴎外の「東京方眼図」が飛躍の手助けをしている。何故、森鴎外の「東京方眼図」なのかは、まったく触れていない。
今の東京の地図から江戸の面影を見ることはできない(P39)
こう述べている通り、秋庭先生自体、自らの限界に気づいている。秋庭先生は、現代の地図で五角形を探しても、見つからなかったのだ。そこで、「東京方眼図」なわけだ。
13 ヨーロッパで戦争から人々を救ったオランダ式築城術
東京の地下と何の関係もないんだが・・・(笑)
14 江戸城の設計に深く関わっていた2人の外国人の謎
秋庭先生自身がすでに気づいている。藤堂高虎が「築城の名人」だったのだ。外国の航海士と砲手が築城に深く関わることなど、あり得ない。
15 「正五角形の砲術」から生まれた「正五角形の城」
44ページに「私の考える江戸城の五角形」という絵がある。
飯田橋→四ッ谷→虎ノ門→東京→お茶の水
こんな五角形だ。確かに五角形だ。見事に五角形だ。
が、お茶の水、飯田橋、四ッ谷あたりまでは、無理矢理はめれば外濠に合致しないわけでもないが、その他はいったい何と重なるというのだろうか。
五角形に見えるのは、秋庭先生が地図の上に五角形を直線で書いているからであって、実際の外濠も内濠も、神田川も、汐留川も、何をどう組み立てても、五角形なんかにはならない。
秋庭先生が五角形を描いた5点は、いずれも地下鉄やJRの駅がある。秋庭先生は、江戸城を五角形に見立てたのではなく、江戸城の周りにある地下鉄やJRの駅を結んで、正五角形を描いたのだ。
意味、分かる?
江戸城を見て、五角形を探したら、そこに地下鉄やJRの駅があったのではなく、逆なのだ。地下鉄の駅をつないで五角形をつくったのだ。
つまり、秋庭先生の五角形探しは、逆立ちしている。
16 都市型城塞・江戸は、このようにつくられた!
五角形はまったく証明されていないが、すでに本の中では既成事実化している。秋庭先生は同じように、「現実の地図上」で五角形を描き、再び「東京方眼図」へと戻り、その五角形をあてはめる。
17 「五角形」で浮かび上がる江戸の町の謎
地図にさまざまな五角形を描くと、2つの五角形が必ずしも辺と辺をピタリと接したわけではなく、重なっているところもあったこともわかってくる。(P49)
五角形の理論が当てはまらないと、「それは例外だ」と矛盾に目を背ける。これが典型的な思考パターンだ。
さて、ここまでの思考パターンを振り返ってもらいたい。
五角形と地下道を結びつけるものは、何もない。あえて言えば、ナールデンの築城に地下が関わっているという仮説だが、ナールデンは六角形である。しかも、ナールデンに広大な地下空間があったという文献はどこかにあるだろうか。そんなことを聞いた人、いるだろうか。
江戸が五角形の城郭で出来ているかどうかも、結局秋庭先生が「東京方眼図」を見た直感でしかなく、読者はさっぱり理解できない。
「私が考える江戸城の五角形」は、秋庭先生が自分で直線の五角形を描いただけで、江戸城の五角形は全然見えてこない。
ここで途方に暮れてしまうのだが、秋庭先生は立ち止まることなく、「東京方眼図」にたくさんの五角形を描いていく。
が、五角形同士は必ずしも重ならないという。
まいった。お手上げだ。
秋庭先生は、ひたすら五角形探しに奔走している。五角形と地下道との関係は、まったく分からないままだ。本当はそこが一番大切なはずだが、六角形のナールデンに地下があったというだけで、あとはひたすら、五角形である。
これが、果たしてジャーナリストの仕事だろうか。
18 江戸城以外にもある「五角形の城」の謎
19 伊達政宗は「イタリア式築城術」を入手しようとしていた!?
20 広島城もオランダ式築城術で建てられたのか?
21 幕府の命令で函館の五稜郭はつくられたが…?
ずーっと日本全国の五角形探しをしている。
念のため、本のタイトルを復唱しておきたい。
大東京の地下400年 99の謎
間違いないよね(笑)
(関連サイト)
地下のオカルト作家・秋庭俊先生『大東京の地下400年 99の謎』(二見文庫)を読む
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