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2007年5月20日 (日)

【秋庭系東京地下物語'07《秘密》】(第3回)首相官邸のトンネルの謎・後編

P1020583_1総理官邸を裏側から…っていうか、国会議事堂とは反対側から見ると、こんな風になっている。画像の右端あたりが、官邸の溜池山王側の出入り口である。以前の官邸と違うのはここで、どうやら地下1階を有効に使っているらしい。左側に行くと、溜池山王駅・国会議事堂駅の出入り口がある。

今回も、「官邸」という場合は、旧官邸を想定して欲しい。新官邸は、ご覧のようにトンネル以前に、崖に穴が開いている。秋庭流では、トンネルなど、妄想しようがない。

前回でも紹介したが、新安保条約の自然成立の夜、岸信介を官邸から脱出させようとした地下道は、いわゆる「溜池ルート」と思われる。総理官邸のトンネルは、もう一つあり、特許庁方面に出る「特許庁ルート」があったと言われている。

秋庭本の秘密のトンネルは、ほとんどが妄想だが、この2本のトンネルについては、実際に明らかにされ、実在したトンネルである。ただ、地下の都市伝説の権威・秋庭俊先生は、このトンネルを自らの綿密な取材で明らかにしたわけではなかった。それどころか、事実を意図的にねじ曲げ、仮説をねつ造するという、例によって例のごとく、オカルト作家らしい行いも忘れていない。

今回は、実在していた首相官邸の秘密の地下トンネルに迫る。

日米開戦に踏み切った東条内閣の頃、軍の指示で、首相官邸南側庭園の地下に防空壕と2本のトンネルが掘られた。工事を請け負ったのは官邸本館と同じ清水組(現清水建設)。工事は極秘で行われた。

防空壕には合計6つのカマボコ型の部屋があり、首相執務室、閣議室、書記官長室、秘書官室、書記官室、機械室兼事務室とに分かれていた。戦争末期の1945年頃になると、昼間でも空襲警報が出るようになり、地下壕で閣議が開かれたこともあったという。

トンネルの入口は、官邸の小食堂のわきと公邸近くにあった。このトンネルは防空壕につながっており、そこから溜池方面と特許庁方面へ通じる2本のトンネルがあった。

まずは、1つ目の「特許庁ルート」から。

このトンネルを使って難を逃れた例があった。終戦当時に鈴木貫太郎内閣の書記官長だった故・迫水久常元衆・参院議員である。終戦の日の1945年8月15日未明、あくまで徹底抗戦を叫ぶ一部軍人らによって官邸が襲撃されたことがあった。

迫水氏自ら著した『機関銃下の首相官邸』(恒文社)から。

突然機関銃の音がするので目がさめた。夜は明けていた。私は一瞬敵の機銃掃射かと思った。隣室にやすんでいた実弟の久良が飛びこんできて、「兄さん日本の兵隊の襲撃です」という。二・二六事件の経験のある私は、とっさに、鈴木総理を私邸に帰しておいてよかったと思った。私は、別段生命は惜しいとも思わなかったが、殺されたり、捕虜にされたりしてはバカらしいと思ったので、内閣官房総務課長佐藤朝生君を呼んで、自分は、地下道を通って避難するから、官邸の職員はいっさい抵抗するな、彼らのなすがままにせよと命じ、念のために総理私邸に報告しておくようにというと、佐藤君はすでに電話しましたという。私はそのまま実弟久良と、警護の警視庁の中村袈裟男巡査を伴って、いったん防空壕内の書記官長室に入り、非常出口の方を偵察せしめ、兵隊のいないことを確かめて、特許庁に近い道路に出た。私は別にあわててはいなかったと思う。現に壕内の書記官長室では、煙草に火をつけたことを覚えている。ところが道路に出たとき、そこにあった焼トタンを踏んでバタバタという音がしたとたんに急に怖くなった。焼跡をななめに特許庁の角を目がけて三人で走ったが、あとから狙撃されるかもしれないと思い、久良にうしろを見て見ろとはいうものの、私自身は、首をうしろに回すことができなかったことを覚えている。

次は、「溜池ルート」である。

このトンネルは、長さ100メートルもあり、出口付近は爆弾が落ちても爆風のショックを和らげるためにジグザグ通路になっていた。このトンネルを抜けると、約2メートルの断崖になっており、その下は寂しい裏通りだ。その裏通りからは壕の出口は見えない。

前回紹介した「安保反対」のデモで官邸を取り囲まれた岸首相を、このトンネルから脱出させようという試みがされた。これは、前回を参照してもらいたい。

岸首相は、結局トンネルからの脱出をあきらめ、この晩、官邸に缶詰めになったまま一夜を明かす。同じ頃、このトンネルを利用して外部と行き来しようとしていた人が、福田赳夫元総理。「どうしても官邸の外に出る用事があった。トンネルを利用しようとしたがその時なぜか通れないと言われたので、変装して官邸の外に出た記憶がある」

もう一人は椎名悦三郎官房長官で、田中竜夫元文相が証言している。「デモ隊が官邸を取り囲む前に、トンネルを通り抜けてよく赤坂へ遊びに行ったという話を推名さんから聞いたことがある」…この談話、よーく覚えておいてもらいたい。

それにしても、オイラは、よくもここまで官邸のトンネルを調べたねって思った人もいるだろうか。実は、ここまでの内容は、たった1冊の本で分かる。それは、大須賀瑞夫著『首相官邸・今昔物語』(朝日ソノラマ)にぜーんぶ掲載されているからである。

秋庭先生が首相官邸について自著で語っている内容は、ほぼこの本を丸写ししていると言って間違いない。1つだけ違うのは、大須賀氏が、トンネルを、「特許庁ルート」と「溜池ルート」の2つあげていたのを、秋庭先生は、この2つに「山王ルート」を加えた3つをあげているところである。

「山王ルート」って?

大須賀氏は、『首相官邸・今昔物語』の中で、二・二六事件のときに辛くも一命をとりとめた岡田啓介首相の『回顧録』に、二・二六事件当時に官邸からのトンネルが存在していたという記述があったことを指摘している。この『回顧録』には、「山王方面に抜ける近道」と表現していることから、秋庭先生が「山王ルート」という第3のルートを妄想したわけだ。

ところが、大須賀氏は、同著の中で、当時の官邸関係者の「まったく聞いたことがない」という証言を引き出して、こう指摘している。

岡田の回顧録は戦後になってまとめられたものであり、あるいは東条内閣当時のトンネルと混同している可能性もあるが、今となっては確かめようがない。

考えてみれば、山王と溜池では、トンネルが向かっている方向が同じなので、岡田氏が書いた「山王方面に抜ける近道」とは、溜池ルートだった可能性が高い。それも、岡田氏の勘違いで、東条内閣時代にできた地下道だったかもしれないというわけだ。

さて、その後のトンネルは、どうなったのか。2本のトンネルのうち「特許庁ルート」は、東京オリンピックを前に、官邸南側を走る首都高速道路の建設で寸断され、人目に触れぬまま埋め戻されたという。このとき、防空壕や「溜池ルート」のトンネルも、同時に埋め戻された…というのは、関係者の証言。

トンネルは埋められたが、官邸の入り口から約50メートルくらい奥までは、封印されたまま残っていたそうだ。そのトンネルを探検したのが、宮沢内閣の加藤紘一官房長官と、石原信雄副官房長官である。1992年9月5日、二人は懐中電灯を片手に約10分間、突き当たりまで進んでみた。

そのときの加藤紘一氏の談話が、これ。

「突き当たりまで行ってみたが途中で息が苦しくなり、もっとおりたかったが身の危険を感じて引き返した。歴史を感じたが何か不気味な感じだった」

これも、『首相官邸・今昔物語』からの引用である。

さて、秋庭先生の『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫)から。

その後、トンネルについて語っているのは、福田赳夫、推名悦三郎、三木武夫、田中竜男の面々になり、新しいところでは加藤紘一の談話がある。(P77-78)

まるで秋庭先生が、丁寧にあちこちの談話を拾い集めたような書きっぷりだが、これは全部、『首相官邸・今昔物語』からの丸写しである。推名悦三郎の証言を、田中竜男が代弁しているのだが、ここではごっちゃにされている。ちなみに、『首相官邸・今昔物語』には、三木武夫が登場しない。

『帝都東京・地下の謎86』(洋泉社)では、こう書いている。

「三木おろし」で政界が揺れていた頃も、三木首相はトンネルで赤坂に遊びに行っていたということである。(P147)

『首相官邸・今昔物語』には、三木首相の名前はいっさい登場しない。そのかわり、赤字で前述したように、田中竜夫文相が、推名官房長官がトンネルを通って赤坂に遊びに行ったという談話をのせている。

はっきり断言しよう。

三木首相が、トンネルを通って赤坂に遊びに行ったという話は、秋庭先生のねつ造である。

もしもねつ造でないというなら、三木首相がいつ何と言っていたのか、具体的に答えていただきたい。秋庭先生は、こんな話しは誰も知らないだろうと、読者を馬鹿にして、ありもしない妄想をここに書いて、いかにも現実っぽくしただけである。

ジャーナリストとして、あるまじき行為と指摘せねばならない。

P1020580 この画像は、首相官邸を溜池山王側から見たものだ。左に少し写っているのは、地下鉄の出入り口である。左から真ん中奥に向かって走っている道路は、国会議事堂の南側の通りに出る、あの斜に構えた駅の出入り口がある通りだ。ご覧のように、この通りは議事堂へ向かって、坂を高く昇っている。東京メトロ丸ノ内線は、この区間をシールド方式で赤坂見附に向かっている。同千代田線は、この辺の真下に国会議事堂駅があるが、地中深くにある。

議事堂や首相官邸の場所は、永田町の高台の頂上に位置する。首相官邸のトンネルがあったとすれば、この議事堂の山の断崖に向けて、人知れず穴が開いていたのではないか。実地検証してみれば、仮にトンネルがあっても、浅いトンネルでは断崖から顔を出してしまうということが分かる。トンネルを使った人たちの証言を振り返っても、このトンネルは、さらに深い場所へは通じておらず、この断崖絶壁辺りで出口になっていたことが分かるだろう。

旧官邸時代、50メートル残されていたトンネルは、現在はどうなっているのだろうか。新官邸の建設に伴い、「処理」されてしまったのだろうか。オイラは、そこまでを調べる術がない。ただ、1つ言えることは、秋庭先生は、首相官邸のトンネルについて、たった1冊の本からひたすら妄想しているだけで、「まだ、東京の地下について何も知らなかった」という現実である。

さて、次回は、オイラもよく利用する国立国会図書館へ案内しよう。ここは、素晴らしい図書館なのだけれど、秋庭先生に言わせれば、地下の名所らしい。

(つづく)

【秋庭系東京地下物語'07《秘密》】

(第1回)斜に構えたアイツの謎

(第2回)首相官邸のトンネルの謎・前編

(第3回)首相官邸のトンネルの謎・後編

(第4回)国立国会図書館の「複雑な機能」の謎・前編

(第5回)国立国会図書館の「複雑な機能」の謎・後編

(第6回)憲政記念館の「壁の中の階段」の謎

(第7回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その1

(第8回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その2

(第9回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その3

(最終回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その4

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コメント

そう言えば、三木武夫も私邸(現三木武夫記念館)が南平台。
官邸→南平台に地下ルートかあ?
あの辺で遊んでいた頃の記憶では
三木邸には庭にこんもりと杉が(獏
岸邸には車寄せ前に杉の植木が(妄獏

投稿: 陸壱玖 | 2007年5月20日 (日) 11時09分

ちなみに旧官邸の中庭には、こんもりと小山があって、そこがトンネルの入口だったそうです。←これはマジ話

埋められる前はかなり利用されたらしいので、もしかして三木も?って程度の妄想で書いてしまったのかもしれませんね。大平でも中曽根でもないところが、元A社記者だと思ったのは、オイラの妄想です。

投稿: mori-chi | 2007年5月20日 (日) 12時58分

>大平でも中曽根でもないところが、元A社記者だと思ったのは、・・・。
旭日系なら石橋湛山だと思うけど、元毎日、東洋経済てことで。
リジェクトかな?
何せ、未だに関連会社は社主家とか、統合の象徴が無いと立ち行かない、血統値の高い会社だからね。

投稿: 陸壱玖 | 2007年5月20日 (日) 13時38分

てか、秋庭さんにとって有名な首相って、三木くらいしかないとか(笑)

議事堂の地下道の位置も分からない人が、三木氏と親交があったとは思えないので、本を丸写しではかっこわるいから、そのときひらめいた名前をあげたってのが真相のような気がします…と妄想してみる。

投稿: mori-chi | 2007年5月20日 (日) 13時45分

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