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2007年5月26日 (土)

【秋庭系東京地下物語'07《秘密》】(第8回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その2

P1020576 議事堂と議員会館の間にある通りである。この地下には、確かに地下道が通っている。全部で3本ある。

国会議事堂には、地下がある。大工さんが作ってみたら、地下が出来ちゃったということはあり得ない。誰かがそう設計したから、地下はそこにあるのだ。地下はそういう意味では作為的だし、意図的なのである。もっと言えば、こっそり地下を作るなんて、かなり大変な作業である。誰かが掘らねばならないし、誰かが埋めねばならないし、掘るだけでは地下は崩れてしまうのだし…。

国会議事堂の地下は、誰が意図したものなのか。

懸賞で一等をとった設計者だったのか。それとも、大蔵省だったのか。

今回は、地下はいつ現れたのか、に迫る。

秋庭本でも何度も出ているように、議事堂建築にあたっては、デザイン設計の懸賞募集が行われた。大正デモクラシーの影響ではないかと言われている。

その方法は、「なるべく広く一般から良案を募り、かつ応募しやすからしむるの目的をもって」、二次競技方法として、第一次当選者によって最後の優劣を競わせるという、二段階選考だった。

地下の都市伝説の権威・秋庭俊先生は、こう述べている。

国会議事堂の設計公募案がいよいよ議決のときを迎えると、動議があって国会はいったん中断している。その後、二次選抜という修正案が出されて可決成立、何とか公募へと漕ぎつけている。(『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫、P161)

残念ながら、このような史実を記した資料は、見つからなかった。当時は、衆議院と貴族院がある。どっちで可決成立した話なのだろうか。念のため指摘しておくと、当時「国会」は存在しない。「帝国議会」である。細かいことのように聞こえるかもしれないが、この違いはあまりにも決定的な違いである。

二次競技という手法が最初に選択されたのは、大正6年8月に設置された議院建築調査会である。この調査会は、大蔵次官を会長に、学識経験者や内閣書記官、衆議院・貴族院の書記官などで構成していた。調査会は、11回の会議を持ち、設計競技によって図案を募ること、応募者および審査員は日本人に限ること、建築様式は限定しないことを決定する。このとき、「二次競技法に依り其の当選者には賞金を付与する」と決められた。

その後、議事堂建設は、大正6年の第40回帝国議会で、工費750万円10年継続事業として通過した。帝国議会が決めたのは、議事堂建設全体のことで、設計懸賞などの具体的な方法を決めたのは、調査会なのである。

国会が中断した末に二次選抜が決まっている。何か特別な条件があるはずだった。とはいえ、このときの条件はいまだに伏せられているのか、最近になって発行された本にもやはり「一からやり直す」とあった。(『同』、P162)

条件は伏せられていない。それどころか、前回も紹介した『帝国議会議事堂建築報告書』で、二次競技にあたっての具体的な注意事項が書かれている。

そもそも一次競技の段階で、基本的な平面計画があらかじめ事細かに決められていた。「応募者心得書」…いわゆる募集要項には、「間取略図」が付与され、事細かく間取りの配置に関する注意が述べられている。このときの議事堂の階層は、3層で、1階から3階までしかない。地下はこのときなかった。

そして、二次競技の前に、一次競技で選ばれた設計者に対して、16項目に及ぶ注意事項が指示された。

全部旧漢字で書くと、とても読めたものではないし、ネット上では表示できない漢字もあるので、オイラなりに現代風に解説してみたい。

(1)地勢や環境を考慮せずに配置している。←これは、議事堂の敷地が、西が高く、東に低いという特徴を踏まえていないということ。本館の高さが3層に制限されているにも関わらず、部屋の数が多すぎて、建物の幅員がデカくなりすぎている。そこで、予定地を実地調査して考え直せと指示している。

(2)附属建築は、本館をさえぎらないように配置しろ。←せっかく美しい本館の建物を邪魔するような附属建築を設けるなと釘を刺している。

(3)「議員建築として當さに具備すべき品位」が欠けている。

(4)募集規定の間取図にこだわらず、使用上最も便利な間取にしてほしい。

(5)議場の坪数は、指定した210坪を絶対に下回らないこと。←議員定数が増加傾向にあり、いったん議場の大きさを決めてしまうと、もういじりようがないから。

(6)傍聴人通路は、応募者心得にあるよう、専用通路とし、議員や事務員と通路が交錯しないように配置すること。

(7)議員控室は、各室の坪数が減っても構わないが、全体の坪数が変えないでほしい。

(8)両院各委員室、両院協議室、議員食堂は、「所要室数及坪数表」の通り減らさないでほしい。

(9)事務室の間取については、速記課と議場内の速記者席とを、なるべく近距離にしてほしい。

(10)その他の部屋も、坪数を100分の5以上は減らさないでほしい。

(11)汽罐室(ボイラー室)は、地下室にしてもいいけど、便殿(御休所)直前・直下だけは勘弁してくれ。←どうしてもかさばる施設だから配置に苦労していたようだ。外観を害するような配置を避けたいが、かといって議事堂の真後ろに持ってくると、すぐ頭の上に、天皇が使う御休所があるわけだ。

(12)部屋はすべて、本館の三層以外には配置しないこと。

(13)帝室玄関車寄馬車出入口(現在の中央玄関車寄)内の幅員と勾配は、要求に違反するものばっかりだった。特に注意すること。

(14)断面図には、各室の目的に応じた装飾手法を明らかにすること。

(15)提出作品は、1案のみとすること。

(16)提出する際の注意事項

どうだろうか?一箇所だけ地下室が出てくるけど、これは秘密とか陰謀とかとは関係なさそうだよね。

二次選抜になった理由は「防空」、または「地下」ではないだろうか。(『同』、P162)

どうやら、防空も地下も関係ないらしいね。

二次競技でもやはり、地下は設計されていない。二次競技に提出された作品も、すべて1階から3階までしかなく、地下は存在しない。もちろん、防空など関係ない。

一次選抜を通過した者はたぶん、そこで初めて建築の素材を知った。天井や壁の厚さについての指示を受けた。(『同』、P162-163)

こんな事実もない。

どうしてこんな妄想が働くかというと、「二次競技の条件は伏せられている」というねつ造があるからだ。ねつ造をした上で妄想をすると、突然変異のように新たな「仮説」が飛び出してくる。秋庭式の仮説は、すべてこうやって作られる。

だが、「不採用」とはされたものの、渡辺の作品は防空的だった。(『同』、P165)

秋庭先生は、こう書いているが、渡辺の作品の何が防空的だったのかは、いっさい触れていない。ていうか、秋庭先生本人も、こう書いておいて、何が防空的か分かっていない。少なくとも、渡辺の作品には、地下は存在しない。地下がないとすれば、やたらと頑丈な議事堂をつくらないと防空的ではなくなるが、図面をどう読み込めば、頑丈な議事堂と認識しうるのか、むしろ、秋庭先生に聞きたいくらいである。

では、いったい、いつ地下が設計されたのか?

懸賞で一等が決まった後、大蔵省では、基本設計の作業に入っている。

以下は『報告書』からの引用である。

即ち本設計に於ては、本館は予ての計画通り敷地の西方高地に配置し、地勢の傾斜を利用して、一階は西方及南北側に於て半地階となし、南北側は其の外側地下を車馬置場及供待所とするため、本館前面の線において地盤の高低の限界とせり。

議事堂の敷地は、東に低く、西に高い。東側に玄関があると、1階の高さを地面とした場合、西側の議事堂裏側は、1階部分が地面に埋もれてしまう。だから、「半地階」というわけだ。この場合、1階から3階までの3層で、やはり、現在の議事堂の3階建地下1階と比べると、1層足りない。本館の南北側には、車馬置場と供待所を地下に置いている。西に向かって地面が高くなるから、その高低差を利用した。つまり、地下ではあるが、高さは1階と同じというわけだ。

そして、いよいよ実施設計である。

この頃、普通選挙法が施行され、議会機構の拡張が課題となっていた。議会が近代化していくにつれて、議会の機能も権限も重くなり、議会関係の施設も、これまで通りにはいかなくなってきたのである。

以下は『報告書』からの引用。

建築設備工学の異常なる進歩に伴う諸設備用の室面積の増加及議院機構の拡張に伴う各室面積の増加に関係して、本館の殆ど全面積にわたり新に地階を設け、設備用諸室及傍聴人関係諸室を本館に配置せり。而して傍聴人玄関は西側に設けて、中庭より入る案を廃止せり。

ここで、初めて地階が登場するのだ。

「新たに地階を設け」ということは、少なくとも「B1」「B2」があるということになる。(『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫、P364)

読み間違えだよね。これまで地階はなかったんだから、新たに地階を設けるんなら、B1しか存在しない。まして、B3とかB4とかB5なんて妄想しようがない。

前記地階の新設に伴い、敷地の範囲を本館北、西、南の三面に拡張して、地盤の高低差の限界を西側道路の線まで後退せしめ、ここに土留兼用の附属家を設け、以て一階を西方に於て半地階となす案を廃し、西方は沈床庭園の型式を採りたり。其の結果本館は各面とも純然たる三階建の外観を呈するに至り、為に其の威容を増すに至れり。

P1020555 つまり、地階を新設して、議事堂本館は4層構造となった。これまで敷地の西側は、東から順に高くなって、西側は1階が半地下になって、地面の高さが西側道路の高さと一致していたわけだ。これが、実施設計では、東側の高さがそのまま西側道路の手前まで続き、1階部分がすべて地上から出ている状態となった。そのかわり、議事堂西側は、「沈床庭園」となっていたわけだ。

左の画像は、議事堂西側の壁から議員会館方面を写したもの。西側の道路は、階段を昇った1階分上に位置する。奥は、土留兼用の「附属家」である。撮影者が立っている場所が、「沈床庭園」である。

又自動車の需用普及と前記鋤取範囲拡張に関係して本館南北の地下の車馬置場及供待所を廃して、之を一面の広場となして自動車置場に充て、供待所は之を左右道路沿に配置せり。

秋庭先生は、これを引用する際に、「前記鋤取拡張」を勝手に削除し、以下のように仮説をねつ造している。

国会議事堂の南北の地下には、それぞれ一面の広場となっている地下駐車場がある。(『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫、P365)

P1020695 右の画像をご覧いただきたい。これが、北側(参議院側)の「一面の広場」である。今は、分館が建っているから、少し敷地は狭くなった。地下になるはずの場所は、地面を東側の高さに合わせてしまったために、地面が低くなり、青空が見える地上の広場になってしまった。

読み違いというなら、まだ許せる。でも、秋庭先生は、大事な部分を引用から勝手に削除している。「鋤取拡張」って何?って考えたら、必然的に地面を鋤き取った、つまり、取り除いたって意味になる。半地下だった部分の地面を鋤き取れば、当然、青空の下に「一面の広場」ができる。

だが、日本初の地下駐車場は、一九六〇年(昭和三十五)の「丸の内駐車場」とされている。建築関係の書跡は一から十までそのように統一されている。なぜ、そんなことまでウソをつかないとならないのだろうか。いったい誰がそんなことを決めているのか。(『同』、P366)

秋庭先生、ウソつきは、あなただ。

(つづく)

【秋庭系東京地下物語'07《秘密》】

(第1回)斜に構えたアイツの謎

(第2回)首相官邸のトンネルの謎・前編

(第3回)首相官邸のトンネルの謎・後編

(第4回)国立国会図書館の「複雑な機能」の謎・前編

(第5回)国立国会図書館の「複雑な機能」の謎・後編

(第6回)憲政記念館の「壁の中の階段」の謎

(第7回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その1

(第8回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その2

(第9回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その3

(最終回)国会議事堂の「隠された地下」の謎・その4

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