【秋庭系東京地下物語2007】(第2話)「極秘」護送地下鉄の妄想
この威圧感たっぷりの塀は、東京都葛飾区の小菅にある。川と川に挟まれた三角の土地には、高い塀に囲まれた東京拘置所がある。ルーツは、戦前の小菅刑務所。当時巣鴨に東京拘置所があったが、昭和21年4月、連合軍による東京拘置所施設の接収により、小菅刑務所の敷地に東京拘置所が移転してきて、刑務所と拘置所が併設された。その後、この場所が現在のように東京拘置所となるまでのいきさつは、前回に書いた通りである。
今回は、東京拘置所が小菅に移転する計画が進んでいた1970年代の話である。
前回、地下ネタがほとんどなく、堅苦しい話ばかりだったので、今回は妄想たっぷりに地下ネタに没入してみたい。
地下の都市伝説の権威・秋庭俊先生は、『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫)、『新説東京地下要塞』(講談社)、『大東京の地下99の謎』(二見文庫)の中で、朝日新聞の連載『地下鉄物語』に書かれた「幻の地下護送ルート」を紹介している。小菅の東京拘置所から引き込み線で営団地下鉄千代田線へと乗り入れ、霞ヶ関にある東京地検の地下駅へと至る計画である。これは、秋庭先生にしては珍しく現実にあった「極秘」計画だが、不思議なことに、『新説東京地下要塞』で、秋庭先生は、「つくり話」と、バッサリ切っている。
秋庭先生は、何故、千代田線を使った護送電車を否定してしまったのだろうか。
第2話は、実在した「幻の地下護送ルート」に迫る。
東京地方検察庁…いわゆる「東京地検」が入っている合同庁舎6号館である。法務省や公安調査庁なども、同じ庁舎に入っている。この裏には、赤い煉瓦でお馴染みの旧法務省本館、東京地裁などが入る裁判所合同庁舎がある。
まさに、「七〇年安保」の1970年、後に“ミスター検察”とまで言われた伊藤栄樹氏は、法務大臣官房の会計課長の椅子に座っていた。当時、相次ぐ過激派の騒乱事件により、1日に、数百人から数千人以上が検挙されるという異常事態が続いていた。
有名人が逮捕されると、車で東京拘置所に送られる光景を、マスコミがヘリで上空から追ったりするのをテレビや新聞で見たことがあるのではないか。通常、東京拘置所と東京地検・地裁などとの行き来は、バスによる護送だ。でも、そんな時代だったから、逮捕者があまりにも多すぎて、バスによる護送が、警備上も行き詰まっていたのだという。
そんな折り、法務省では、当時巣鴨にあった東京拘置所を小菅に移転する計画が進んでいた。これは、前回の通りのいきさつである。小菅の東京拘置所を建設しているのは、当時の新都市開発センターである。西武グループを中心に財界が立ち上げ、巣鴨プリズン跡地の開発を企て、東京拘置所を含む6つの刑務所・拘置所を建設して、巣鴨プリズン跡地の土地を、それらと等価交換で手に入れることになっていた。
当時の法務省の会計課長は、営繕行政を統括する責任者だった。伊藤氏は、小菅にできる東京拘置所と東京地検・地裁を地下鉄で結び、護送のための特別急行電車を走らせようという大胆な計画を立案した。
伊藤氏が、会計課長に就任した前年の1969(昭和44)年12月、千代田線の北千住・大手町間が開通。1971(昭和46)年3月には、同線は大手町・霞ヶ関間が開通する。その翌月には、綾瀬・北千住間も運行開始し、常磐線と直通運転を始めている。
1970年というのは、この極秘計画を実行に移すには、まさにドンピシャの年だったわけである。
伊藤氏は、まず営団に実行が可能かどうか打診した。すると営団は、国が工事費を負担、車両を買い上げるなら可能という回答だった。結局、東京拘置所の地下への引き込み線を利用して、朝、夕2回、千代田線に護送のためのノンストップの特別急行電車を走らせることが決まった。しかし、この計画は、当時地検庁舎を建設するときに打ち込まれた鋼鉄パイルが邪魔で、実施直前になって挫折することになった。
ここまでは、朝日新聞の連載の通りである。
秋庭先生は、最初に『隠された地下網の秘密』の中で、意気揚々とこの極秘地下鉄計画を紹介し、本当は千代田線からの引き込み線ではなく、ほとんど使われていなかった地下道の有効利用とまで妄想している。ところが、『新説東京地下要塞』では、さらに、計画が頓挫したことも「つくり話」、護送地下鉄も「つくり話」と、この連載の章丸ごとを「つくり話」にしてしまったのである。
事実がどこにも書いていないなら、その根拠としている資料は破棄すべきだ。ところが、秋庭先生はさすがである。事実がどこにもないということは、他にある事実が事実である証拠だという、見事な飛躍を遂げるのである。そして、どこにあるのかも分からない、極秘の地下道を、伊藤氏がでっち上げの話をすることで国民に暴露した、という途方もない結論へと至るのである。
伊藤氏と、朝日新聞の記者に対して、大変失礼な話である。
秋庭先生が、根本的に勘違いしていることがある。
それは、「極秘」の意味である。
この連載の中で、伊藤氏が話しているのは、護送地下鉄が「極秘」なのではなくて、その計画を一部の担当者だけで、「極秘に」検討していたということである。この連載のどこにも、護送地下鉄そのものが極秘になるとは書いていない。なので、実際に予算が組まれて、建設が始まれば、当然、予算案を国会で審議しなければならないから、公明正大に発表することになる。
当たり前の話だが、その護送地下鉄に乗る被疑者たちも、公明正大な護送地下鉄で、小菅から霞ヶ関まで運ばれる。彼らはきっと、「護送地下鉄に乗ったよ」と話すだろうし、今は記者たちが東京地検や地裁の門前でカメラを構えているけど、今度は地下鉄の駅かなんかにズラリと並んだりするのかもしれない。
なのに、秋庭先生は、何を勘違いしたのか、「極秘の計画」をいつの間にか、「極秘の地下鉄」にすり替えてしまったのだ。
だから、秋庭先生は、自著のあちこちで、「この話は矛盾している」と嘆いているのだが、読解が間違えば、そりゃ、矛盾してしまう。
極秘に検討しなければならない理由は、当時の社会情勢にあったのだろう。安保闘争が激しさを増して、国会はいつ与野党が逆転してもおかしくない時代だった。共産党が40議席に迫り、「革新政府」なんてのが、まことしやかに言われていた。安保闘争で逮捕された被疑者たちを護送するために、地下鉄を通すなんて無駄遣いな話が、すんなりと通るわけがない。万が一、選挙の直前にリークされたら、政権が脅かされる。
予算を組むことは、それほど難しくはなかっただろう。連載は、「列島改造ブームに乗って大盤振る舞いの予算」が組まれたと書いているが、当時、東京拘置所を建設したのは、国ではなく、サンシャインシティを開発した新都市開発センターである。法務省は、施設と巣鴨プリズン跡地を等価交換するだけだから、引き込み線を作って車両1つを買い上げることぐらい、秋庭先生が言うような何百億円なんて大金を使わなくても、十分可能だっただろう。
営団にしたって、建設も車両も国が経費を持つなら、どの駅でも旅客扱いをしない電車が何度往復しようが、問題なんてなかろう。「ノンストップ」とはいいながらも、護送電車なんだから、定期列車の合間をノロノロと走らせればいいだけのことである。おそらく、往路は、朝のラッシュが終わったくらいの時間に小菅から霞ヶ関に走り、復路は、夕方のラッシュが始まる前くらいの時間に霞ヶ関から小菅に走るという感じではないだろうか。
オイラは、かなり角度のある話だと思う。
この幻の地下護送ルートは、いったいどこに計画されたのだろうか?
ここからは、純粋にオイラの妄想である。幽霊やUFOと同じレベルで読んでもらいたい。
地下鉄千代田線から小菅の東京拘置所へと入るルートは、そんなに苦労しないだろう。今、千代田線に平行してつくばエキスプレスが走っており、荒川を越えたところで地下へと潜る。千代田線はそのまま高架を綾瀬に向かう。おそらく、つくばエキスプレスが地下に潜るあたりから、地下の引き込み線を入れて、東京拘置所の塀の中に直接乗り入れるというルートだったのではないだろうか。
問題は、霞ヶ関側である。千代田線の日比谷駅は、ちょうど東京地検のある敷地と平行している。この日比谷駅から右へ迂回して、東京地検に至るルートを引っ張ろうとすると、非常に急カーブになる。では、日比谷駅の手前で右に曲がり、内堀通りから東京地検へと至るルートはどうだろうか。これはいいなと思った瞬間、あることに気づいた。大手町から日比谷に至る千代田線は、都営三田線と平行していて、霞ヶ関に向かって右に曲がろうとすると、常に三田線が邪魔をするのだ。
では、幻の護送ルートは、どこにあったのか?
1971年3月に千代田線が霞ヶ関まで延伸する。この先には、今、何があるのか?
そう。千代田線と有楽町線を結ぶ8・9号連絡線である。
1970年当時、有楽町線はまだ開通していない。仮に千代田線の霞ヶ関から、現在の8・9号連絡線のルートをたどり、内堀通から回り込んで、法務省の敷地へと入る、こんな護送ルートだったらどうだろうか。千代田線霞ヶ関からぐるりときれいな弧を描き、うまいこと東京地検につなげられないだろうか。
1968年4月、都市交通審議会は、答申第10号として、銀座線の救済路線として、第11号線(半蔵門線)を新設、丸ノ内線の救済路線として、第8号線(有楽町線)を新設し、2路線を他の路線より優先して建設することが決めた。1974年10月、有楽町線の池袋・銀座一丁目間が開通。幻の護送ルートは、最初に護送地下鉄の引き込み線として設計され、その後、8・9号連絡線として、本来とは違う使命を負って生まれ変わったのではないか。
さて、次回は、秋庭先生がせっかく手に入れたネタが、逆に話し手の「つくり話」だったのではないか、という話である。秋庭先生は、きっと大真面目にそれが真実だと思ったのかもしれないが、文章をそのまま検証すると、事実ではないことが分かる。時代は現代へ。1993年夏、東京を襲った戦後最大の台風は、建設中の南北線のトンネルを水没させた。その水は、どこから来たのか。時を同じくして、丸ノ内線の赤坂見附駅では、電車が水没していた。2つの事件の奇妙な一致から何が分かるのか?
次回の【秋庭系東京地下物語】は、赤坂見附駅に停まります。
(ブログで紹介した書籍)
【秋庭系東京地下物語2007】
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