東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?26
秋庭さんに騙されるところだった…、そんな人は多いのではないか。
最初は、『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社)からである。
東京駅や有楽町周辺で丸ノ内線は「162.716」という半端な値のカーブを曲がっていたが、ここ赤坂見附でも「182.881」という半端な値のカーブを曲がる。いや、単位をメートルではなくヤードにすると、この数字は半端な値などではなくなる。ぴったり200ヤードに相当するのだ。(P92)
戦前に使われていたヤード・ポンド法が、戦後に作られたはずの丸ノ内線で使われている。つまり、丸ノ内線は、戦前に作られたという結論。182メートル88センチ1ミリは、確かに200ヤードである。なるほど。
ところで、162メートル71センチ6ミリは、何ヤードだろうか。
秋庭さんのトリック。まるで、すべてがヤード・ポンド法で計算されているかのような印象操作がされているが、実は、200ヤードきっかりになる部分が、赤坂見附のカーブ以外にはない。いや、200と言わなくても、ヤードでちゃんと割り切れるカーブがない。つまり、秋庭さんの仮説をひっくり返すと、丸ノ内線の赤坂見附にある200ヤードのカーブ以外は、戦後に作られたトンネルであるということになる。
さて、元祖バイブル『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫)である。
この赤坂見附の200ヤードのトンネルは地下鉄のために建設されている。このトンネルをもって本書の仮説の第一歩のデータということにしたい。
「戦前には、銀座線以外の地下鉄はなかった。地下道のようなものもまったくなかった」
東京の地下については、六十年にわたってこのように言われていたが、「二〇〇ヤード」はそれにクサビを打ち込んだことにならないだろうか。(P208-209)
自信満々である。おそらく、同書の中で秋庭さんが確信を持って証拠を提示した唯一のものと言える。
カーブに小数点がついていたのは、丸ノ内線と半蔵門線とそれぞれ六か所、東西線が四か所、千代田線と有楽町線に一か所ずつだった。ほかに有楽町線と千代田線を結ぶ8・9号線連絡線にも小数点がついていた。(P258)
ここで、秋庭さんの仮説は、丸ノ内線だけでなく、東京のあちこちの地下鉄は、戦前に作られたという仮説へと転化する。
中川によると、戦前、わが国の建築界では、マイルもヤードも、全部フィートで表してしまう習慣があったという。(P259-260)
と、突然、計算の単位が、ヤードからフィートへと変わってしまう。東西線の九段下-竹橋-大手町にある「203.30」という半径を、667フィートという数字になおした。それでも秋庭さんは、
しかし、このようなカーブが二つ三つ続いていたとしても、線路の半径はその後、メートル法に戻っていた。このままではいくつかのトンネルが戦前からあったと証明はできても、戦前から地下鉄があったと言うには、いま一つ物足りない。(P260)
と、自分の仮説の不十分さに気づいている。
なんと、このあと秋庭さんは、すべてのトンネルが戦前からあったと証明するために、ひたすらトンネルの壁や柱の形状や色を調べる。残念ながら、トンネルの壁や形状をいくら調べても、それが戦前からあったと証明することはできない。壁と柱を調べて戦前か戦後を判断できるのであれば、ヤードとかフィートとか言っていないで、最初からそうすれば良かったのである。形状や色で何かが分かるという思いこみ自体が妄想である。従って、この本で分かったのは、戦後に作られたトンネルの一部に、ヤードやフィートで計算されたと思われるカーブがあるということだけである。
本題は、ここから。
フィートの話は、飛躍が過ぎている。それまで散々ヤードを基準にしていたのに、突然、「中川」なる人物を登場させて、フィートを使うことを「習慣」だと断定している。が、それなら丸ノ内線のカーブがヤードを使っているのは、何故なのか。しかも、東西線の半径は、500フィートとか600フィートではなく、667フィートという、半端な値である。ここでも、2カ所のカーブをフィートになおしているだけで、他のカーブはフィートになおしていない。最初に挙げた丸ノ内線のトリックと同じ。フィートになおせるカーブは、2カ所しかなかったということになる。
しかも、そのフィートも値が中途半端で、今ひとつ信憑性に欠ける。
それでは、最初に戻ろう。
丸ノ内線の赤坂見附にある200ヤードのトンネルは、戦前からあったのか?
よーく考えてみてほしい。
設計士が戦前の寸法でトンネルを設計したからといって、そのトンネルが戦前からあったという証拠にはならない。だって、それって、設計士が戦前に設計しただけのことだから。極端な話をすれば、戦前にヤードを使って設計した地下鉄を、これから作っても構わない。実際に作るときは、メートル法になおしてしまうから、トンネルをつくる技術者や土木作業員には、原典がヤードかメートルかは関係ないのだ。
営団は、昭和17年に新線建設計画の検討に入り、新宿・池袋間を緊急施行路線として決定。第1期として新宿・東京間、第2期として池袋・東京間を選定した。今の丸ノ内線の前身である。
第1期計画のうち、最初に工事が着工されたのは、赤坂見附・四谷見附間1.3キロ。ここには、当然、200ヤードのカーブがある。
工事が始まったのであれば、トンネルの設計は終わっている。この工事は、戦局の悪化に伴い、着工から2年後の昭和19年6月に、政府の命令により工事中止となった。
戦後、最初に建設が始まったのは、丸ノ内線である。戦前の設計は、戦後へと受け継がれた。それが、赤坂見附にある200ヤードのカーブである。
さて、秋庭さんは、仮説の第一歩でつまずいている。つまずいているにも関わらず、秋庭さんは、地下鉄のトンネルの壁をすべてチェックして、次の仮説へと進んでしまった。つまり、ここ以降の仮説は、完全に破綻していると思っていいと思う。秋庭さんは、カーブをフィートで計算したときに、自分の仮説の不十分さに気づいていた。本来は、そこで立ち止まるべきだったのではないか。この本が、ノンフィクションになるか、オカルト本になるかの分岐点は、ここにあったのだと思う。どうして、つまずいた時点で立ち止まらなかったのだろうか。そこはぜひ、秋庭さん本人に聞いていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。
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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。
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