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2006年9月29日 (金)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?25

秋庭俊さんが、あちこちの書籍で、金科玉条のごとく、バイブルとしている書籍がある。

『近代日本建築学発達史』(日本建築学会編、丸善株式会社)

である。

この本は、とてつもなく太い。読むのはかなり大変で、日本建築学会とだけあって、建築の話が中心となり、都市計画については少ない。秋庭さんがどうしてこの書籍を選んだのかは分からないが、明治から昭和に至る都市計画の歴史を簡潔に教えてくれるからではないかと推測する。関東大震災前後に帝都復興に携わった建築家が執筆に携わってるだけに、当時の臨場感が伝わってくる。

ただ、まず事前に理解しておくことがある。かなり重要なことである。

『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫)から。

言いたいことが言えない時代にこれだけのことを語ろうとすれば、相当の覚悟が必要とされる。おそらく「地下」という言葉さえ使えない状況のなか、設計士はその地下道の位置を特定している。「復興街路」の設計士の言葉となれば、信頼度は相当に高い。当局がこれに気づいたとき、どのようなことになるのか、設計士が考えていないとは思えなかった。命を削るような覚悟をしたうえで、設計士は後世に真実を伝えている。(P321)

秋庭さんは、大切なことを誤解している。この『近代日本建築学発達史』は、戦後に書かれた書物である。発行は、昭和47年10月20日である。従って、この書物を書いた「設計士」は、「相当の覚悟」も必要ないし、「地下」という言葉は使えるし、「命を削るような覚悟」もする必要はない。この書籍の帝都復興の項は、大阪工業大学の玉置豊次郎教授が執筆している。玉置教授は、大正12年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業し、関東大震災後に帝都復興院復興局技師として働いた。1956年から大阪工業大学の教授に就任し、在任中に『発達史』の編集に携わった。1984年に亡くなっている。

秋庭さんは、この書物を引用して、「設計士」が、ここで品川から千住大橋に至る直線の地下街路の存在を暴露していると書いている。では、『発達史』のその部分を全文引用してみよう。太文字部分は、秋庭さんが引用している部分である。

これら街路計画作成にあたって多くの街路中でも特に基幹となるものの位置がまず決定されることになって、第一に東海道と日光街道を一直線に南北に通し、次いで甲州街道と青梅街道を合わせたものと千葉街道を一直線に東西に通すことになった。すなわち前者は品川から千住大橋に通ぜしめ、後者は九段下から錦糸町に至らしめた。その沿道として前者では新橋から北はまったくの新設であって、銀座・日本橋通・御成街道に平行して、将来これらに代わって重要幹線たらしめようとしたものである。後者では万世橋から両国橋の間の旧電車道を100メートルあまり南に移動させることになった。これは万世橋付近が従来急カーブであって交通の難所であったことと、神田川の両岸を有効に利用するために旧の電車道と神田川間の敷地が狭小であったのを広めるためでもあった。

さて、秘密の地下道は見つかっただろうか。

秋庭さんは、この一部分を引用して、こんな風に書いている。

東海道と日光街道を一直線にとおしたような道路はなかった。(略)九段下と錦糸町を一直線にのぞむような道路などもなかった。(P318)

ここに書かれていることは、帝都復興の街路を立案する際に、品川と千住大橋を結ぶ南北の路線と、錦糸町と九段下を結ぶ東西の路線を、基幹道路として位置づけたということである。東京の地形は、山あり谷ありである。実際に線を引くときには、一直線にはならないのは、当然のことである。

「帝都復興」の幹線1号・昭和通りを、設計士は「沿道」としている。(P320)

秋庭さんは、日本語の勉強をしたほうがいい。筆者は、幹線街路1号・昭和通りが建設されるルートの「沿道」には何があるのかを説明している。新橋から北はまったく新設の道路で、既存の道路を拡幅するわけではないということ、その新設される道路は、銀座・日本橋通・御成街道に平行していて、将来はそれらの通りに代わって重要幹線になると説明しているのである。日本語が分かれば、読解できるよね。

さて、『発達史』は、上で引用した文章から90行後に、次の文章が登場する。90行も離れているから、話題はもう「沿道」とは何の関係もにないことに留意してもらいたい。ページ数では、3ページも後になる。

幹線街路第1号は後に昭和通りという通称が用いられることになったが、街路の一部が竣工をみた時に付近の人達の間から、むちゃくちゃに広過ぎる道路を造ったので界隈がすっかりさびれたと猛烈な非難があがった。事実現場に臨むと、両側には平家がせいぜい2階建の木造が建っているので、誰が見てもまことに索漠たるものであって、住民の非難を肯定せざるを得なかった。そのために東京市は新橋から三原橋までのごくわずかの区間であったが市電を新設して非難に答えざるを得なかった。かくのごとく復興計画は当時の事情と照らすと確かに理想の勝ち過ぎたものであったことは事実である。

さて、秘密の地下道は見つかっただろうか。

上で登場した「沿道」の話は、さっきのところで終わっている。ここは90行も読み進めた先にあるので、沿道とは別の話である。秋庭さんは、ほんの一部を引用して、こんなことを書いている。

街路の一部が道路になるということなのか、それとも、街路と昭和通りが重なっている場所があるということなのか。(P321)

秋庭さんが、何に悩んでいるのか謎である。昭和通りがあまりにも広すぎたので、周辺の住民から、地域が衰退したと苦情が出た。そこで、東京市が昭和通りの真ん中に、三原橋から新橋にかけて、市電を通した。こういう話である。重なるとかなんとかと、何を悩んでいるのか、意味不明である。

さて、ここで、『新説東京地下要塞』(講談社)を思い出してもらいたい。

新橋-三原橋間には、結局、市電の線路は敷かれず、戦後もこの区間には都電は走っていなかった。(P134)

秋庭さんは、嘘をついている。

自分が『帝都東京・隠された地下網の秘密』で引用した箇所のすぐ真下にある文章を読んでいれば、上のように、新橋・三原橋間に市電の線路が敷かれなかったという結論にはらなかったはずである。秋庭さんが『発達史』から引用した部分は、帝都復興のときに隠された地下網が建設されたことを示す重要な証拠とされている。しかも、秋庭さんは、この文章の執筆者が命がけで書いているとまで評している。だとすれば、引用部分の真下にある新橋・三原橋間の市電の話も、信用しなければおかしいではないか。

同時に、『新説東京地下要塞』では、都営浅草線が戦前にすでに作られていたという最大の論拠が、GHQの地図にある新橋・三原橋間の軌道だから、この部分の論拠が崩れてしまうと、都営浅草線が戦前に作られたという仮説も崩れる。

秋庭さんは、自分の仮説を立証するために、読者に対して重大な事実を隠蔽したまま、仮説をねつ造している可能性がある。

『発達史』は、オイラが前回と前々回取り上げた市区改正についての記述もある。

24年度から始められた臨時事業である水道改良事業のため募集された公債の償還金が30万円以上50万円以内という経費制限のわく内から支出され、加えて、物価や賃金の値上がり、日清戦争による財政緊縮などにより毎年度道路改正に使える金はわずかなものとなっていた…

やはり、「市区改正が湯水のように予算を使って、道路1本敷かなかった」という秋庭さんの仮説は、ここで崩れている。秋庭さんは、ここも読んでいるはずである。それは、確信が持てる。

何故か?

この文章が書いてある箇所の1ページ前に、秋庭さんが、「海の中を通る道路計画」として自分の書籍で紹介している地図が掲載されているからだ。

つまり、秋庭さんは、自分の仮説が間違っていることに、執筆の段階で気づいていた可能性が極めて高い。

秋庭さんは、“天然”なのか、“確信犯”なのか、オイラはずっとそこが分からずにいたのだが、ここまで来て、1つの結論に達した。秋庭さんの書籍に間違いや誤解が多数見られるのは、決して秋庭さんが無知だからではない。

彼は、確信犯である。

では、秋庭さんは、どうして、こうやって調べれば分かるような嘘をついてしまったのだろうか。そこはぜひ、本人に聞いていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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