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2006年8月13日 (日)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?18

1945年8月15日、日本は終戦を迎えた。

「右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且
日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコト確証アルニ至ル迄ハ
連合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ
吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」
(「ポツダム宣言」第7条)

同年8月30日、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着。9月2日、東京湾上に浮かぶミズーリ号で降伏文書の調印が行われた。GHQに接収された建物は、道路も含めて1147カ所に及ぶ。都心部で焼け残った建物は、ほとんど接収された。米軍は、空襲で東京のほとんどを焼き払ったが、肝心な建物だけは爆撃を避けて、終戦後に自分たちが使ったらしい。

さて、今夜はまず、『帝都東京・地下の謎86』(秋庭俊、洋泉社)からの引用である。

下の図は「インテリジェント・リポート(諜報報告)」というもので、終戦後のGHQが製作した。最近まで米軍の極秘資料だったが、五〇年という期限が切れて公開されたものである。これが何を表した地図なのか、どのように見ればいいのか、ほとんど説明がない。「航空写真に写らない道路については、道幅は保証しない」と注意書きがある。パレスサイドビルの周辺には太い斜線が引かれている。(P16)

17ページには、パレスサイドビルを中心とした地図が、現代のものと、GHQの地図が上下に並んでいる。秋庭さんは、どうやら、太い斜線が引かれているから、何かあるぞと言いたいらしい。この地図には、太い斜線に「Ruins」と書いてある。Ruinsとは、Yahoo辞書で調べると、「廃墟」という意味がある。地図は終戦直後のものだから、要するに、この斜線は、地下を意味するものではなく、焼け残りと考えるといい。

これと同じ地図が、『東京地下要塞』(秋庭俊、講談社)でも登場する。彼にとっては、この地図は、切り札のようなものらしい。

この地図は東京の地下を表しているのではないかと、これまでにも何回か提示してきたものである。(P224)

226ページには、都心部全域にわたる地図が掲載されている。黒色に建物の形が示してあるのが、空襲で破壊されず残った建物である。地図全体を薄いグレーが広がっている。これは、空襲による爆撃で焼き払われて、地面がむき出しになっている場所である。広すぎないかと思うかもしれないが、当時の写真を見ると分かる。東京は、そのとき、広大な空き地になっていた。

同じ地図が、135ページにもある。

新橋-三原橋間には、結局市電の線路は敷かれず、戦後もこの区間には都電は走っていなかった。だが、米軍が一九五三年(昭和二八)年に製作した地図には、矢印の先に線路が書かれている。左の地図では銀座線と同じ広軌の線路幅である。
公式の銀座線は中央通りを走っていたが、私は、極秘の銀座線のターミナルが三原橋(東銀座)にあったと思うが、どんなものだろう。(P134)

つまり、秋庭さんは、この地図に示された線路を根拠に、地下に都営浅草線があったと言いたいのである。が、オイラが当時の市電路線図を入手したところ、新橋から東銀座に至る昭和通りには、市電の路線があった。東銀座から岩本町までは、市電はない。これは、後藤新平が帝都復興計画を立てたとき、幹線道路には、路面電車を敷かない方針にこだわったからだ。

このGHQの地図は、航空写真をもとに書かれているようである。従って、見えないものは、見えないし、見えるものは忠実に描いた。

これは、オイラの妄想だが、この地図は、終戦直後の東京の建物の被災状況を表した地図である。秋庭さんが探している地下鉄は、この地図には描かれていない。

ここで、『帝都東京・地下の謎86』に戻ろう。

75ページに、再びGHQの地図が登場する。でも、気を付けて見てほしい。この地図は、これまでの地図とは違う。現物は、日本人学者により、『G.H.Q.東京占領地図』(雄松堂出版)として解説書付きで出版された。

この地図には、インテリジェント・リポートという但し書きはない。「シティ・マップ・セントラル・トウキョウ 1948年6月」という地図である。

占領軍は、都内を管轄するために、宮城(皇居)を中心とした重要道路にそれぞれアベニュー名、ストリート名を与えていた。アベニューは、皇居を中心として四方に延びる放射状の道路で、時計の針の進行と同じ順序にアルファベットのAからZまで名付けられていたのに対し、ストリートのほうは複雑な都内の環状線道路で、皇居に近い順に1ストリートから60ストリートまで名付けられていた。(『MPのジープから見た占領下の東京』)

アベニュー名もストリート名も、当時の日本の地理とは何の関係もなく、占領軍が理解しやすいように名付けられていたようである。

GHQは、行幸道路と勝手口に同じ名前をつけている。東京駅をはさんだ東西二つの道路に「アベニューX」とある。このような表記も、前ページの地図の点線と同じだと私は思う。(P74)

その場所が重要かどうかは、アベニュー名とは関係ない。途中に運河があろうが、線路があろうが、その方向に道が延びていれば、その通りに同じ名前をつける。ちなみに、東京は地形が複雑だから、アベニューとストリートが結果として同じ方向を向いてしまったり、途中で交わったり、離れたりすることもある。AからZ、1から60までは、極めて機械的に、でも、それほどの大きな意味もこだわらずに割り振ったのである。

そもそも、この地図には、インテリジェント・リポートとは書かれていないのに、何のためらいもなく、インテリジェント・リポートとして扱っているところが、秋庭さんの不誠実なところである。この地図が、諜報と関係するかどうかの検証がまったくない。にも関わらず、例えば、『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫)では、この地図をもとに隠された地下網が描かれているように論じている。

まったくの勘違いだと思う。

明後日、8月15日、日本は、61回目の終戦の日を迎える。

「シティ・マップ・セントラル・トウキョウ 1948年6月」・・・この地図の原図は、1947年に米空軍によって撮影された航空写真である。地上の物件については、第123施設大隊によって調査されたという。当時、東京は焼け野原だった。この原図となった航空写真は、『G.H.Q.東京占領地図』にも掲載されている。焼き尽くされた大地は、空から見ると土がむき出しになり、地図とは逆に真っ白である。おそらく、終戦直後の東京を写した唯一の航空写真である。

戦後の東京は、ここから始まった。

この地図を眺めながら、隠された地下鉄探しをするのは、勝手である。でも、この資料を手にして感じるのは、そんな小さなことなのだろうか。占領期の日本の研究は、最近になり様々なGHQの資料が公開されるようになって、まだ始まったばかりなのだと思う。この先、多くの事実が明らかになるだろうが、おそらく、地下鉄の秘密は、どんなに頑張っても出てこないだろう。

そもそも、暗号というのは、キーがなければ、解けない。それを、ど素人が地図をぼーっと眺めて、何となく単語と単語を結びつけて、やった、地下鉄が見つかった、と喜べるなら、GHQは随分簡単な暗号をつくったものである。何も知らない場所の地図に桑畑があったからと言って、それが軍事施設だと眺めていて分かることはあり得ない。「山」「川」という、昔の遊びとは訳が違う。現物がどのような経緯で作成されたのか、様々な資料をもとに検証すれば、少なくともGHQの地図が、隠された地下網を表しているという結論など、出しようがない。

では、秋庭さんは、どうしてGHQの地図にこだわっているのだろうか。それはぜひ、秋庭さん本人に聞いていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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