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2006年7月29日 (土)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?15

とにかく、秋庭さんの本は、読みづらい。確信犯として誤魔化した表現を使うケースもあるが、ほとんどは、秋庭さん自身の文筆力のなさが原因である。なので、読み返してみて、自分が間違った解釈をしていたことが分かることも多い。

工事申請区間 起点 四谷見附(新宿起点 4キロ 874メートル 92センチ0ミリ)
                     終点 赤坂見附(新宿起点 6キロ 044メートル 35センチ6ミリ)

 地下鉄丸ノ内線の起点は池袋だったが、戦前の地下鉄新宿線の起点は、新宿だったということである。営団の文書では、戦前と戦後の区間がイコールで結ばれているが、距離を計算すると、八〇メートルほどの違いがあるようである。
 だが、それより先に驚くべきことは、起点と終点がミリまで確定しているという事実である。このような数字は、新宿から四谷見附まで線路が敷かれ、さらに赤坂見附まで線路が敷かれていない限り、決して出てこないものである。(『帝都東京・地下の謎86』秋庭俊著、洋泉社)

同じ内容は、『帝都東京・隠された地下網の秘密』でも、登場する。ちなみに、新潮文庫版では、240ページから245ページに書いてある。

どの地下鉄でもそうだけれど、工事の申請をするとき、起点からの距離を申請書に記す。このとき、戦後の地下鉄のほとんどは、ミリ単位まで記してはいない。東京高速鉄道の四谷見附・赤坂見附間だけが、新宿からの距離をミリ単位で試算している。上記の引用の上2行が、その申請の内容である。

説明しよう。(タイムボカンシリーズ風)

「東京高速鉄道」とは、戦前の地下鉄の経営会社のことである。昭和9年9月、東京市の保有する免許線4路線65.7キロのうち約40キロを譲渡して、将来、もう一方の地下鉄経営会社である東京地下鉄道(戦前、日本初の地下鉄を敷いた会社)と合併することを条件として、設立された。社長には、大倉土木の副頭取・門野重九郎が就任、常務取締役に五島慶太が就任した。

昭和10年10月、東京高速鉄道は渋谷線と称した渋谷・東京間のうち、渋谷・新橋間の土木工事に着手。昭和13年12月20日に渋谷・虎ノ門間の営業運転を開始した。この間、東京高速鉄道は、赤坂見附駅を、新宿・築地間のいわゆる新宿線への分岐駅として、2階建てで建設するとともに、渋谷線と新宿線を結ぶ赤坂見附・四谷見附間の分岐線の路線免許を獲得した。つまり、上記の工事申請は、この部分のものである。これを受け、新宿から四谷見附、赤坂見附を経て、新橋へ入る計画を具体化した。

東京高速鉄道は、東京地下鉄道との協議が紛糾したものの、昭和14年1月15日、新橋へと進出した。

「そういうわけで、地下鉄は新宿から赤坂見附まで完成してたわけだ」
「申請書一枚でそこまでわかるんだ」
「ていうよりは、設計士はそれを望んでたんだろ。陸軍がそうしろっていうから仕方ないけど、本当は初めから線路はあったってことを言いたかったんじゃないか」
 私はうなずいた。
 丸ノ内線の設計士には確かにそういうところがあった。ただ、この場合、そんなことをさせたのは陸軍ではなく、戦後の政府ということだった。いずれにしても、そうした権力に立ち向かうタイプだということは、本を読めばよくわかった。(P244『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫)

とにかく分かりにくい。東京高速鉄道の申請書は、戦前に国に出されたものだ。なのに、「丸ノ内線の設計士には…」とある。しかも、戦後の政府がどうこうと書いてあるが、戦前の会社が申請した内容なので、戦後の政府は関係ない。秋庭さんの本を読んでいると、まるで丸ノ内線の工事申請が、新宿からの距離をミリ単位で計算しているように勘違いをしてしまう。でも、丸ノ内線の建設史を読めば分かるが、実際の工事申請は、池袋からの距離で申請している。

このおっさん、確信犯か?それとも天然か?

秋庭さんの本を読むたびに首を傾げてしまう。

さて、では、東京高速鉄道の工事申請である四谷見附・赤坂見附間は、どうしてミリ単位まで計算していたのだろうか。新宿起点で四谷見附と赤坂見附の2点の距離を出しているということは、新宿から四谷見附・赤坂見附までは、東京高速鉄道が工事申請をする段階で、すでにトンネルも線路も敷かれていたということだろうか。つまり、東京高速鉄道が東京市から免許を譲り受けた、新宿・築地間の新宿線は、免許を譲り受けた時点ですでに完成していたということだろうか。

ここからは、オイラの妄想である。

第1に、工事の申請をするとき、事細かな距離は意味がない。地下鉄は、どこを通るかは、あまり重要な意味はない。特に戦前は。秋庭さんは、戦前の免許では、地下鉄が起点と終点を決めれば、道路に沿ってもいいし、直線を敷いてもいいと、自らの著作で書いている。その通りで、通る場所を決めても、実際には道路の中央も、右端も通れるし、構造物があって通れなければ、深く潜ったり、時には地上に出たりする。実際、丸ノ内線の建設では、当初四ツ谷駅は地下を通る予定が、途中で工事の変更申請をして、地上を通ることになっている。この時点で距離も変わっている。

第2に、工事申請をするときの距離は、線路の距離とは限らない。例えば、JRの山手線は、内回りと外回りがあるが、当然、内回りのほうが距離が短くなる。最近、単線の鉄道はめったにないから、複線ということになるし、場所によっては複々線になる。このときの距離は、線路の距離ではなく、まさに、線路を含めた鉄道構造物の起点から終点までの距離に他ならない。線路があるから、ミリ単位まで計算する、線路がないと、ミリ単位が計算できない、という話にはならないのである。

実際の工事は、工事申請のあとに、実施設計を行う。これは、どこに、どういうトンネルを掘り、どう線路を敷くのか、事細かに設計する。東京高速鉄道は、戦前に陸上交通事業調整法に基づき、帝都高速度営団に事業を引き継ぎ、赤坂見附・四谷見附間の工事も、営団が引き継ぐ。その工事は始まったものの、戦況の悪化に伴い、工事は中止された。四谷・赤坂見附間は、丸ノ内線の中で唯一戦前に建設が始まった区間でもある。だから、ミリ単位の計算ができたのかもしれない。

それに、渋谷線の開業により、赤坂見附駅は、現在でも分かるように2階建てに設計されており、この起点が決まれば、あとは新宿側の起点を定めれば、双方の距離は計算できてしまう。両方の起点が存在しないと、計算も曖昧になるが、赤坂見附側が決まってしまえば、計算は難しくない。

上記の四谷見附・赤坂見附間の申請書にある、旧新宿起点の距離は、丸ノ内線のトンネルとは関係ない。というのも、申請の段階で想定したルートは、靖国通り経由だったが、その後、戦後の営団は、新宿通り経由のルートへと変更して申請した。仮に、この申請書1枚でトンネルがそこに存在すると証明できたとしても、戦前から丸ノ内線があったという証明にはならないということである。

こうやって読んでいくと、秋庭さんの本が書いてあるほど、この1枚の申請書はショッキングなものではないように思えてくる。秋庭さんに、申請書から戦前にトンネルがあったという仮説を導き出したのは、秋庭さんのお友達の中川さんだが、中川さんは、何を根拠にこんな仮説を立てたのだろうか。大胆だが、詰めが甘い。そもそも中川さんは、どこの誰なのだろうか。それは、ぜひ、秋庭さんに聞いてもらいたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

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