まえがき
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あたしからは人影がぼんやりしか見えないのに、向こうからはこちらがはっきり見えるみたいで、まっすぐあたしに向かって近づいてきた。
「あの、ここは……痛っ」
あたしは、人影に話しかけて、また頭痛がして頭を抱えた。
「大丈夫ですよ。それは死ぬ直前の痛みが残っているだけです。幻覚のようなものですから、すぐに消えます」
幼いけど、冷静に話す女の子の声がした。
「幻覚?」
「はい。痛みなんて感じないはずです」
じっと目をこらすと、彼女はいつのまにか目の前にいた。
黄色や赤やピンクの派手は衣装で、童顔のまんまるい瞳があたしの顔をのぞきこんでいる。
「大丈夫ですか?」
彼女に言われたとおり、いつのまにか頭痛が消えていたので、あたしはあっけにとられた。
「ほら、もう痛くないでしょ。そんなの、もう感じなくていいんです」
彼女の顔はしっかり見えるけど、あたしたちの周りは相変わらず霧の中。
やっぱり夢だ。
頬をぎゅっとつまんでみる。
痛くない。
ほーら、夢だ。早く起きなきゃ。
「あのー、夢じゃないと思いますよ」
不意に彼女がつぶやいた。
「それは起きてみれば分かることよ」
あたしは自信たっぷりで胸をはってみた。起きたら、あんたはあたしの記憶の片すみに追いやられて、お弁当の時間にはきれいに忘れられるんだってば。
「無理もありません。誰でもこんなときは記憶が混乱するんです。赤ちゃんにまで若返っちゃう人もいるくらいだから」
「あなた、さっきから分からないことばっかりよ。こんなときって、いったい何よ!」
彼女はちょっとふくれっ面をして、
「あの、最初に言ったじゃないですか」
「は?」
「痛いのは死ぬ前の記憶なんです。死んじゃったら痛みなんて関係ないでしょ」
「死ぬ?」
「はい」
彼女は、天真爛漫な微笑みを浮かべた。
「う……うそ」
「ほんとです。ほら、これこれ」
と言いながら、彼女は自分の頭の上を指差した。
彼女の人差し指の先には、青白く光る丸い蛍光灯のようなものが浮かんでいた。
「こーゆーの見たことありますでしょ」
「幽霊?」
「ぶーっ」
「死神?」
「それもぶーっ」
彼女は、今度は自分の背中を指差した。
「ほらほら、こーゆーかわゆいのが…」
手のひらくらいの小さな白いつばさがパタパタと動いている。
「天使?」
「ビンゴ!」
無意識にあたしは、自分の頬をつねっていた。
ぎゅーっ。痛くない。
「だから、無意味なんですってば。死んだんだから」
「やめてよ。夢だからって好き勝手言わないで!」
天使は半ばあきれ顔でため息をついて、
「しぶとい人ですね。でも、安心しました。自分の死を受け入れられないというのは、こういう場合、不幸中の幸いですし」
「どういう意味よ」
「証拠を見せましょう」
にやりと笑った天使が、ぱちんと指を鳴らした。
目の前の霧が晴れた。
そこには、病院のベッドに横たわるあたしがいた。
頭に包帯を巻いていて、血がにじんでいる。口は酸素マスクをはめられ、ピクリとも動かない。体のあちこちからくだが伸びていて、いろんな計器につながっている。ベッドの周りにはお医者さんと看護婦、そしてパパやママ、妹のかすみ、それに田舎のおばあちゃんが取り囲んでいた。
「痛いっ」
急に忘れたはずの頭痛が戻ってきて、あたしは頭をおさえた。
「思い出しましたか?」
天使があたしの顔をのぞきこんだ。
コクリとうなづくあたし。
あたしの名前は、水沢真帆。市立田園中学校二年生。十四才。
バレンタインデーの夜、あたしは死んだ。
その日のあたしも、とことんついていなかった。
(つづく)
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「ワリイ、俺、甘いのだめなんだ」
その日の昼休み、校舎裏のベンチで昼寝をしていた悟くんを、あたしは襲撃した。悟くんは、あたしがさしだした花柄の包みを、一目見ただけで、あっさり断りの返事をしてきた。
「あの、お砂糖少なくしてあるからあんまり甘くないし、食べたくなかったら食べなくていいけど、気持ちだけでも受け取ってほしいの」
しつこく食い下がるあたしに、悟くんもうんざりした様子だ。大きなあくびをすると、再びベンチに横たわった。
森本悟くんは、同じクラスの一つ年上。昨年、心臓の重い病気をしたために、一年ダブっている。そのせいか、クラスメイトも今ひとつとっつきにくくて、女子からも敬遠されていた。このあたしをのぞいて。
バレンタインデーを前に、クラスの男子の中では数少ないノーマークの彼を、あたしはひそかに狙っていた。
女の子は、男子ほどばかじゃない。最初から落とせない相手にわざわざ心のこもったチョコは渡さないし、中学生の少ないおこづかいを使い果たすわけがない。費用対効果がさっぱりバランスとれないもの。
案の定、大半の女の子の期待通り、彼は一秒と悩むふりもせず、あっさりとチョコを突っ返してきた。
「いいの! 帰り道で捨ててもいいから受け取って!」
「うるせえなあ。めんどくせえんだよ」
断られて簡単に引き下がるわけにも行かない。なんたって、このチョコは、構想六ヶ月、製作日数八時間の力作だ。たかがチョコでも徹夜で作っただけ愛情もこめているつもりだもの。ここで引き下がれないよ。
「受け取って!」
悟くんは、大きなため息をついて、ベンチに横になって、
「勝手にしろ」
とだけ言って、目をつぶった。
「置いていくから」
あたしは、ベンチの上にチョコ入り袋を置いて、立ち去った。
「やれやれ、あんたも苦労性ねえ」
一仕事終えて遅れ気味のお弁当を食べているあたしを、雪子は半ばばかにした顔で、あたしのミルク給食の牛乳を飲みながら、批評していた。教室の後ろではホウキを持った男子生徒がちゃんばらをしてほこりが舞っていたので、あたしは弁当箱をふたで隠しながら、まるで早弁でもしているような格好でお弁当をつついていた。
「冷静にあたしの牛乳飲まないで」
「だいたい、本命一本にしぼり込むなんて、もったいない。あたしなんか九個も用意したのよ」
「本命は誰なの?」
「みんな本命よ」
雪子はあっさりと答えた。
「そういうのって、本命って言うの?」
「それぞれ大事なんだってば」
「単に浮気性なんじゃない?」
「失礼ね。男も役割分担があるの。恋の相手もいるし、友達もいるし、あこがれの人もいるし。みんな彼氏になる可能性があるんだから。それぞれキープしておくの。義理チョコっていうのは、身内で絶対に男女の関係にならない人に贈るものよ。父親とかね」
「で、パパにはあげたの?」
「まさか。うちのお父さんは男じゃなくておやじだもん」
雪子は何でもないという様子で、口のまわりにヒゲをつけて言った。
「二兎を追うものは一兎を得ずっていうじゃない」
「一兎がうさぎじゃなかったらどうするの。やっぱり二兎を追うべきよ」
「もらった相手はどう思っているのかなあ」
と、あたしはそれなりにするどい質問をぶつけたつもりだった。ところが、雪子はあっけらかんとした表情で答えた。
「ばかね。それを調べるために、ホワイトデーってのがあるんじゃないの」
とことんまで自信過剰でご都合主義の雪子が、あたしは少しうらやましい気がした。こんな雪子も、一番手の男の子がホワイトデーに何もくれないと、顔をぐしゃぐしゃにして泣きついてきて、チーズもんじゃをお腹いっぱいになるまで食べながら、あたしに愚痴をぶちまける。
そんな彼女に、ちょっと戸惑いながらも、うらやましかった。嫉妬していたのかもしれない。
「よりにもよって、森本悟とはねえ。あなたって、ドンキホーテみたいね。わざわざかなわない恋だって分かっているのに、どうして?」
雪子の言うことももっともだった。よりにもよって悟くんだなんて。
「あたし、男運悪いのよ」
「自分で選んどいて、何言ってるんだか」
「やさしいだけが男じゃないの。クールなところも素敵じゃない」
「あんた、マゾ?」
「あのねえ……」
雪子に反撃しようと思ったところで、チャイムが鳴った。あたしは、慌てて残っているお弁当を口いっぱいにかき込んだ。
雪子の言ったことはあたっている。あたしは、いつの間にか苦しい道を選んでいる。自分を受け入れてくれる人よりも自分を無視するような人を好きになる方が、不思議に安心した。苦しんだ分だけその人を好きになれた気がした。
その日はとことん運が悪かった。掃除当番だったのだ。しかも、ジャンケンであたしはことごとく惨敗し、女の子がもっとも避けたい校舎裏の掃除当番になってしまった。
昼休みこそベンチでお弁当を楽しむ生徒がチラホラいるけれど、放課後となると人気は少なく、日は傾いて薄暗くなる。ここを掃除するなんて、当番というより罰ゲームに近い。
おまけに午後になって雲が出てきたので、校舎裏はますます寒くて気味の悪い場所になっていた。
それにそこは、昼休み、悟くんにチョコレートを渡した場所だ。まさか昼休みからずっと寒いあのベンチで居眠りをしているわけではないだろう。いたらいたで、あたしはうれしかったりするのだけど。
あたしは魔女が使うような竹の芯でできたホウキを逆さにかついで、校舎と塀の隙間を通って校舎裏に入った。
職員室や校長室のある本校舎の裏を抜けると、昼休みには穏やかな陽が差しこむちょっとした広場がある。そこに無造作に置いてあるペンキのはげかかったベンチが、悟くんのお気に入りだ。
朝は裏の民家に朝日がさえぎられ、お昼を過ぎると校舎の影になるので、人が出入りするのはお昼休みくらい。悟くんもまさかこんな時間まで寒い場所でサボっているわけないと思った。
でも……。
その日に限って、雰囲気が違っていた。明らかに人の気配がした。コソコソと声がする。一人は男子、もう一人は女子。
賢明な若者なら、放課後に校舎裏で男女が二人きりでいるなら、とりあえずその場を遠慮するものだ。
しかし、あたしは頭が悪かった。とりわけこんな場面には鈍感だった。
木枯らしが吹く校舎裏に、ベンチに座る男女がいた。一人は、隣のクラスの山村さん。もう一人は、昼休みにもその場所に座っていた悟くんだった。二人はベッタリと寄り添っていて、ふと現れたあたしに気づかない様子だった。
「あ、水沢……」
悟くんがばつが悪そうにあたしに気づいて、山村さんから離れた。山村さんも、あたしを見つけて、頬を真っ赤に染めて下を向いてしまった。
「あ…、あの…、掃除したいんですけど!」
学校中に響き渡る声で、あたしは叫んだ。
「悪い、すぐどくから」
そそくさと悟くんと山村さんが去っていく後ろ姿を見ながら、あたしは山村さんの手がしっかり悟くんの腕をつかんでいるのを見逃さなかった。そして、去り際に山村さんがあたしを振り返り、まるで勝利を確信するような顔で微笑んだことも、あたしはしっかり見ていた。
さらに、不幸が追い討ちをかける。
ベンチの横のごみ箱には、昼間あたしが悟くんに渡したはずのチョコと、ぐしゃぐしゃになった紙袋が捨てられていた。
封だけ開けて食べずに捨てるなんて…。
テレビなら、ここで「ドッキリでした」と看板を持って人が出てきて、ホッと安心なのだろうけど、いくら待ってもあたしはそこに一人きり。
あたしはごみ箱に入っていたチョコと紙袋を、ごみといっしょに焼却炉に放りこんで、家路についた。
(つづく)
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日が暮れかけている街では、チョコレートを売り尽くそうと、コンビニの前でもスーパーの前でも、チョコの大安売り。こんなチョコをもらって、男の子はうれしいのだろうか。安売りチョコはどんな人の口に入るのだろう。
せめて全部義理チョコであることを望むばかりだわ。
今ごろ焼却炉で灰になっているあたしのチョコよりは幸せかもしれない。
クリスマスとバレンタインデーになると、恋の神様は差別をする。クリスマスもバレンタインデーも、恋をしていない人にとっては、神も仏もない。その日は恋を成就させた人だけが幸せになれるし、恋に敗れた人は自動的に街のすみに追いやられてしまう。
神様は不公平だ。
あたしが政治家になったら、この二つの記念日は廃止しよう。
ミンシュシュギの名のもとにクリスマスもバレンタインもつぶれてしまえばいい。
「それは極論ですね」
天使が唐突によこやりを入れてきた。
「あなたの言っているミンシュシュギってのは、平等に恋をする権利ってことですよね。それなら、十分平等です。中学生には難しいですか?」
「権利が平等なんてうそよ。じゃあなんであたしはふられているわけ?」
「それは…、いや、それより、その後、あなたはどうしたんですか?」
「その後って?」
「学校を出て、家に帰ったんですか?」
「もちろんよ。家に帰って、ご飯を食べて寝たわ。で、あたしは夢を見て、あなたとこうやってお話をしているってわけ」
「今晩のおかずは?」
そう聞かれて、あたしは言葉に詰まった。
お昼休みのお弁当以来、何も食べていない。
「気分が悪かったから、食べなかったのよ」
「じゃあ、夜十時からの金曜ドラマは? キムタクはピンチを脱出したの?」
それも覚えがなかった。
天使があたしの顔をのぞきこんで、にーっと笑った。
「真帆さん、ケンリを主張するのは、現実を直視してからにしてください」
バレンタインの大安売りをうらやましそうに横目で見ながら、あたしはトボトボと繁華街を歩いていた。
駅前にある三十階建ての高層マンションの前にさしかかったとき、あたしは不意に真上から視線を感じて立ち止まった。
日の暮れかかった空は赤みがかかった藍色に輝いていて、吸い込まれそうな気がした。胸が少しズキズキした。不覚にも涙がこぼれてきて、あたしは慌てて袖で顔をぬぐった。
もう死んじゃえばいい。
そう思った瞬間、頭に大きな衝撃。
あたしの記憶はそこで途切れていた。
「申し訳ありません」
天使が深々と頭を下げた。
何がなんだか分からない。あたしが死んだのは何となく理解できた。でも、この子は何をしようというの。
「真帆さんは、ここで死にました」
「じれったいわね。何が言いたいの?」
「はい。実は…」
天使はパチンと指をならした。
そこには、頭から血を流しているあたしが倒れていた。そのすぐ横にももう一人あたしと同じくらいの年頃の男の子が倒れていた。
「誰?」
「この人は、自殺したんです」
「自殺?」
「そうです。三十階建てのマンションから飛び降りました。あなたと少しだけ接触してしまいましたが、あなたは本来軽傷のはずです。ところが、この方はまだ生きていらっしゃいます。私どもの手違いで」
「手違いって…」
「本当はこの方からいただくはずの魂を残したまま、真帆さんの魂をいただいてしまったんです。結果、死ぬはずのこの方が生きていて、真帆さんが虫の息なわけでして」
「…ってことは?」
「ハイ。生き返っていただきます。今ならまだ間に合います。私はそのために天界から派遣されたソラといいます」
「ソラ…」
「はい。お空のソラです」
ソラは、無邪気な笑顔で答えた。
「天使も間違えるの?」
「最近では天界もコンピューター処理しているのですが、ここのところ二〇〇〇年問題のせいで魂の出し入れが混乱することがあるんです。何とか年末年始は乗り切ったのですが、まさかこんなところで間違いが起きてしまうとは。どちらもバレンタインがらみでしたので、ケアレスミスではないかと」
恐縮した表情でソラは話した。派手な衣装だからどうも説得力に欠けるのだけど。
「というわけで、すぐに処理しますので。生き返ってしばらくは頭の後遺症が残るかもしれませんが、心配いりません。今のところあなたの死はスケジュールに入っていません。それで死ぬことはありませんから」
まるで先生が午後の時間割を伝えるような気楽なのりで、ソラは言った。
そっか。あたしはまだ生きていられるんだ。なあーんだ。
心配して損した。
ん?
ちょっと待って。
違う。生きていては困る。だって…。
「あたしは死のうと思ってたの!」
ソラから余裕の表情が消えて、引きつった顔であたしを見つめた。
「悟くんにふられて、やけになって、このまま死んでしまえばいいと思って…、それであのマンションに向かったの」
「そ…、そんな、無茶言わないでください。あなたの死は予定されていないんですってば。これは事故です。私ども天使の過失なんですってば」
「死にたいのに死ねないなんて、理不尽だわ。すぐに殺して」
「もう死んでますって…」
ソラは困り果てた様子で頭をポリポリかきながら天空をあおいだ。
「真帆さん、死ぬとか生きるというのは、天界でちゃんとスケジュールをつくってるんです。ただでさえ、地上の人口が爆発的に増えてしまったので、順番通り生まれ変わってくれないと手続きが狂って大変なんです」
「天使なんだから、その辺適当にやっておいてよ」
「天使だから適当ってのがわけ分かんないです」
「天使は魂の味方でなきゃ」
「ただの平天使ですってば。あなたを殺したまま天界に帰ったら、大天使さまに怒られるんです。ね、真帆さん、お願いだから生き返ってくださいよ」
「いや」
「ああ…」
「天使にだってできないことがあるんです。あなた自身が生きる意思を持ってくれないと、戻す魂も戻せないんですよ」
「だからあ、死にたいんだってば。それに…、あたしがいなくなれば、悟くんはあたしの思いに気づいてくれるはずよ。生きているうちになんで好きにならなかったんだろうって。きっと後悔するにきまってるわ」
「後悔なんてしませんっ。高校に行って彼女つくって真帆さんのことなんて、あっという間に忘れますって」
「そんなことないもん!」
しばらくの間、ソラは頭を抱えて考え込んでいた。不意にソラは頭を上げると、あたしの手をぐっとつかんで、もう片方の指をパチンと鳴らした。目の前が真っ暗になった。
「真帆!」
急にママの大きな叫び声が響いた。
そこは、真っ白な壁で囲まれた病院の一室。ベッドに横たわるあたしを、ママとパパ、かすみが取り囲み、あたしを見下ろしていた。ママが取り乱したように、あたしを揺さぶっていた。パパがそれを後ろからはがいじめにして止めていた。
あたしとソラは、それを天井から見下ろしていた。
「生きてるの?」
「正確に言えば生きています。ついさっき、脳死と診断されています。今のあなたは生霊のようなものです。体は生きているけど、魂は抜け出しています。今なら本来の体に戻ることができます」
お医者さんがパパを連れて、廊下に出た。
「大変残念ですが、私どもでは手のほどこしようがありません。傷は浅いはずなのですが、原因不明です」
医者が恐縮した様子で話すと、パパは頭をうなだれて小さくうなづいた。
「とにかく全力は尽くしますが、最悪の場合を考えておいていただかないと…」
「真帆さん…」
ソラが真剣なまなざしであたしを見つめていた。
「あなたはどうか知りませんが、あなたのご家族は、あなたが元気になることを祈っています。あなたが死んでしまっていいと思っている人はいませんよ」
「そうかな。いなくてもあの家族は何とかやっていくわ。大丈夫よ」
「またそうやってひねくれる」
「ソラには分からないのよ。天使が家族の問題に悩むことないでしょ」
ソラの表情が少し曇った。
「それは…そうですけど…」
「だったら黙っててよ」
「後で泣いても知りませんよ。戻る体を焼かれてしまったら、戻りたくても戻れないんだから」
ソラはそっぽを向いてすねてしまった。
「そっか、幽霊ならどこへでも行けるんだよね。さっき、あなた指をパチンって鳴らしてたけど…、あたしにもできる?」
「もちろんです。物理的には天使も幽霊も同じ性質なんですから。でも、このパチンと鳴らすのが難しいんです。私もちゃんと鳴らせるまでに三百年もかかったんで、天使になってからすいぶん苦労しました。先輩には泣かず飛ばずのソラなんて言われて。指をこすらせているうちに、摩擦で指が熱くなって痛いんです、これが…」
パチン。
ソラが小さな音に気づいたとき、あたしの姿はなかった。
「私の三百年って何だったの?」
ソラがうらめしそうにつぶやいた。
(つづく)
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悟くんは、小高い丘に建つ市営住宅に住んでいる。雪子から雪見大福3個で仕入れた情報によると、母子2人暮らしなのだそうだ。父親は、物心ついたときには、もういなかったらしい。お母さんは、夜遅くまで仕事で、悟くんはいつも一人で留守番しているらしい。
パチンと指を鳴らして、ひとっ飛びしたあたしは…。
「きゃー!」
と、いきなり悲鳴を上げる羽目になった。
目を開けると、目の前に悟くんの顔があったのだ。
あと5センチでファーストキス…と思いきや、悟くんはあたしを通り抜けてしまった。
あ、そっか、あたしは今、幽霊だったんだ。
夕日が差し込む部屋で、悟くんは、机に向かって座って、教科書を広げた。
うそ。悟くんが勉強してる。
学校では、ちょっと不良っぽくて、授業中は居眠りしていたり、ボケーッとしている。へたすると、教室にはいなかったりして。
その悟くんの真剣な眼差しに、あたしはしばらく見とれていた。
大きな背中。でも、筋肉質ではなくて、意外に身体はやせている。
この人は、あたしの知らないどんな秘密を持っているんだろう。少しエッチなのかな。それとも、甘えん坊なんだろうか。
もっと知りたくて、もっと近づきたかった。
あたしは、悟くんの大きな背中に抱きついてみた…が、あたしの両手は、悟くんを通り越してしまう。
仕方なく、抱きしめるような格好をしてみた。
この人の背中は、暖かいのかな…。冷たいのかな…。
ふと、悟くんが、自分で自分を抱きしめて、ぶるぶるっとふるえた。
悟くん?
彼は、だっと立ち上がり、部屋を出た。
何?
あたしも後ろをつけると、悟くんはそのまま、トイレに飛び込んだ。
バタンと扉が閉まる。
なんでよーっ!どうして、あたしが抱きつくとトイレなの?
チョロチョロチョロ…。
い…いやー!
だめだよー。悟くんは、トイレなんか行っちゃだめだってば。
あたしは、悪夢のような音を消そうと耳をふさいでみたけれど、音が消えることはなかった。
幽霊だもんなー。ふさげないわなー。
そのとき、居間の電話が鳴った。
ぷるるるるるる…。
トイレの扉がばたんと勢いよく開いた。
悟くんが、トランクスを途中まで上げながら出てきた。
いやーっ。
あたしは、たった数分間で、女の子が順番にあがっていく大人の階段を、一気に駆け抜けたような気がする。
悟くんが電話に出る。
「はい、森本です。あ…、ママ…」
ママ?
あたしは、耳を疑った。
かわいい。悟くんのことだから、てっきり「おふくろ」とか呼んでいると思ったよ。
あたしは、それがおかしくて、おかしくて、床を転げ回って笑った。
と、悟くんが、こちらをジッと見ているのに気づいた。
うそ…、見えてる?
悟くんは、首を傾げると、再び受話器に向かった。
「ごめん。何か隣が騒がしかったから。子どもいたっけ?」
焦った…。
悟くんの表情は、学校では見たこともないくらい優しかった。あたしがいつも見ている悟くん、ママと優しく会話する悟くん。どっちが本物なんだろう。
「うん。今帰ってきたところ。ご飯は、適当につくるから。薬は飲んだよ。うん、分かってるって。ああ、ママも無理しないでね」
悟くんは、受話器を置くと、小さなため息をついた。
その瞳は、少し憂鬱そうで、でも暖かかった。
あたしは、そこにいる、もう一人の悟くんをジッと見つめていた。
すると…。
ぷるるるるる…。
再び、電話のベルが鳴った。
悟くんが電話をとった。
「はい、森本です。ああ、山村…」
山村さん?
「どうした? 何だよ、何泣いてるんだよ。え…、水沢が?」
悟くんの表情が変わった。
そっか、あたしのことだね。
「分かった。今行くよ」
悟くんは、受話器を置くと、コートをとって、部屋を出た。
あたしも、後を追った。
指をパチン。
そこには、悟くんと山村さんが寄り添い歩いていた。悟くんの腕に、山村さんはしっかりしがみついていた。その向かう先には、大きな病院があった。あそこに、あたしの亡骸がいるんだろうか。
山村さんが、病院の病棟を見上げて、立ち止まった。少し身体が震えているように見える。
「私、行けない…」
「なんだよ、どうしたんだ」
「だって、私のせいかもしれないでしょ」
「そんなことないって」
悟くんが、山村さんを引っ張って、病院に向かって歩き始めた。
最後に一度でいいから、悟くんの腕に寄り添って、歩いてみたい。優しい言葉をかけてほしい。あたしのことをジッと見てほしい。こら、山村さん、その手を離しなさい。そんなうらやましいこと、あたしの前で堂々とやってのけて。成仏してもずーっと恨んでやるんだから。
「矛盾したこと、言わないでください」
不意に頭の上からソラの声がした。大きな病院の看板の上に、ソラが仁王立ちして、怖い顔であたしを見下ろしていた。
「この世に恨みを残して成仏するなんて、私たち天使が、そんな罰当たりな真似できるわけないですよ。それに、成仏してもらっては困ります。ちゃんと生き返っていただかないと」
ソラは、ぴょんと飛び、あたしの目の前に降りた。
「さあ、ちゃんと生き返りましょ」
「やだ。もう少しこのままでいる」
「しょうがないなー」
ソラが、あたしの腕を取って、パチンと指を鳴らした。
病室の前のベンチでは、パパやママ、かすみ、おばあちゃんが、やつれた表情で座っていた。病室には、「面会謝絶」の札がかかっている。
そこに、悟くんと山村さんが来た。
パパが、2人を見上げて、微笑んだ。
「ああ、森本くん、よく来てくれたね。会ってやってください。意識はないけど、真帆、喜ぶと思う」
悟くんと山村さんが、パパにうながされて、部屋に入った。
そこには、ベッドに横たわるあたしがいた。
悟くんと山村さんは、あたしを黙って見下ろした。
山村さんは、あたしの姿を怖い顔で見つめながら、悟くんの手をギュッと握りしめた。
「山村、大丈夫か…」
「……ね…」
「山村?」
山村さんの瞳から、ボロボロと涙が出てきた。
「ごめんね、私のせいかもしれない…」
「違うよ。お前のせいじゃないから」
「だって…」
山村さんの泣きじゃくる声が病室に響いていた。
(つづく)
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「ねえ、あたしって、事故で死んだんじゃないの?」
あたしとソラは、病院の屋上にある看板に座って、星空を見上げていた。悟くんは、泣きじゃくる山村さんと2人で、病院を後にしていた。あの勝ち誇ったような顔の山村さんと、あたしの病室で泣いていた山村さんのギャップが激しくて、あたしは考え込んでしまった。
「正確には事故死ですが…、真帆さんの場合、あの時点で余命の順番が狂ってしまいました。ですので、真帆さんが自殺したことになってます」
「そっか…。でも、ちょうどいいじゃない。あたしは、自殺した。これで何の矛盾もなく、成仏すればいいわけ」
ソラは、がっくりと肩を落として、ため息をついた。
病院の屋上から眺める星空は、都会の光で消えそうだけれど、ささやかに頭上に輝いている。昔、プラネタリウムで観た星空は、目が痛くなるほど星がちりばめられていたけど、あたしは、このくらいけなげで、一生懸命自己主張している星のほうが好き。
「あっ」
星空に、流れ星を見つけて、あたしは声をあげた。
流れ星は、頭の真上を西の空に降りてきた。
ソラが、それを見て、立ち上がった。
「きれいだね、あの流れ星…」
「違います。あれは、星じゃありません」
ソラが流れ星を目で追う。星は、クルリと回転して、こちらに向かってくるように見える。星のように見えたそれは、青白い光のかたまりだった。
「何?」
「あれは…」
青白い光は、あたしたちの目の前で止まった。光の中から、ほうきに乗った黒装束の人間が現れた。その人は、魔法使いが被るような三角帽子を被って、真っ白な肌の男の子だった。背中には、ソラと同じような、小さな翼がはえていたけど、翼の色は、白ではなくて、真っ黒だった。彼の大きくて青い瞳が、あたしたちをジッと見つめていた。
「ミト…」
「ソラの仲間?」
「違います。私は、白天使ですが、ミトは、黒天使です」
「黒天使?」
「はい。魂を回収する天使です」
黒装束のミトは、にっと笑った。この子、笑い方が可愛い。
「ミト、何のようですか。真帆さんには用はないはずです」
「そいつは、死にたがっているみたいじゃないか。ボクに回収させてくれれば、すぐにケリがつく」
「ダメです!真帆さんは、私が元の体に戻すんですから」
「お前、そういうのを余計なおせっかいっていうんだ。死にたいって言ってるやつを、死なせてやって何が悪い」
「ミトは、回収すべき魂を回収してください。この真帆さんには手をふれちゃだめ」
「けっ。白だとか、黒だとか、そんなこと何の意味がある。お前だって、もともとは自殺した魂だろうが…」
えっ。ソラも?
「そこの女、このソラってやつも、えらそうなこと言ってるけど、自分で自分の命を絶ったんだ」
「ミト、それ以上言うと…」
ソラが両手を頭上にかざすと、手と手の間に、光のかたまりが膨らんだ。
ミトはそれを見て、何か呪文のようなものを唱えると、両手をソラに向かって突き出した。
「きゃー!!」
ソラが、悲鳴を上げて、何かにはじき飛ばされて、屋上にころがった。
「ソラ!」
ほうきにまたがったミトが、あたしに近づいて、手をさしのべた。
「来るか」
あたしは、その青い瞳に引き込まれそうになり、思わず、「うん」とうなずいた。
ミトが、あたしの手をつかみ、舞い上がった。
ソラは、ようやく気を取り戻して、頭をブルブルふりながら、起きあがった。ソラが見上げると、ミトとあたしの姿はなかった。
ほうきは、どんどん空高く上がった。そっと見下ろすと、あたしたちの今までいた世界が、キラキラと夜景になって輝いた。地上から見上げた星空もきれいだったけど、星空から見下ろす地上は、光の1つ1つが命の火のように見えて、生きている証のような気がして、急に愛おしくなった。不意にあたしは、涙をこぼした。
ミトは、そんなあたしを見ると、少し寂しそうな顔をして、
「死ぬのが怖くなった?」
「ううん、違うの。あんまり夜景がきれいだから…」
「お前、死に損ないのくせに、ロマンティストだなあ」
「幽霊だって、キュンとしたり、ドキドキしたりするの」
「どうする? このまま回収されちゃう?」
「ソラが言ってた、本来回収すべき魂って?」
「ああ、それは…」
「回収しないといけないんじゃないの?」
「会ってみる? お前の頭の上から落ちてきたやつ…」
つまり、それは、本来自殺して死ぬはずだった人。あたしは、その人のかわりに死のうとしている。
あたしは、コクリとうなずいた。
ミトは、にっと笑うと、
「しっかり捕まってろ」
と言って、今度は地上に向かって、まっすぐに飛んだ、というより、落ちた。
「きゃあああー!」
「やっほー!」
あたしは悲鳴を上げながらも、ミトとの星空のランデブーを楽しんでいた。
(つづく)
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彼は、意外に近い病院に入院していた。ミトのほうきにまたがって、あたしは、3階の窓から、彼の姿を見た。ベッドで本を読んでいる彼は、頭に包帯を巻いていたけど、その他は至って元気そうだった。あたしと同じくらいの年頃の男の子。意外に可愛い子かもしれない。この人が、自殺しようとしたなんて、考えられないくらい、普通の子だった。
ミトとあたしは、窓を通り抜けて、部屋に入った。
「普通の子ね」
「どうする?お前が回収される?それとも、こいつを回収する?」
「あなたって、品がないのね」
「現実を言っているだけだ。俺は、どっちでもいいんだぜ。1つだけ魂を持って天界に帰ればいいだけだから」
「だから、どっちでもいいってのが品がないの。それぞれ違う人生を歩んでいて、それなりに理由があって生きたり、死んだりしているんでしょ」
「そんなの、ない、ない。天界のスケジュール帳通りにやってるだけ。流れ作業なんだからさ」
「そういう言い方が品がないっていうの」
あたしが、ミトの胸ぐらをつかんだところで、ふと後方で声がした。
「あの…」
あたしとミトは、声の主を探した。
彼は、はっきりとあたしとミトを見ていた。
「そこで、何をしているんですか?」
本を読んでいると思った彼は、あたしとミトを見て、キョトンとしていた。
嘘、見えてる?
「お前、見えるのか?」
ミトが、彼の前まで行き、目の前で手を振って見せた。彼も、手を振ってこたえた。ミトが、にっと微笑んだ。
「こいつは、話が早いな。おい、お前、死ぬのか、死なないのか、今すぐハッキリさせろ」
あたしが、ミトの頬をつまんで、部屋の隅まで引っ張った。
「いててて…、何だよ、何すんだよ」
「だから、あなたの言い方って、品がないのよ」
ミトは、頬をさすりながら、すねた顔をした。
「死ぬか、生きるか聞くのに、品もくそもあるかよ。だいたい、あいつのせいでお前は虫の息なんだぞ。分かってんのか?」
今度は、あたしが、彼の前に立ち、彼をにらんだ。
「あたし、あなたのために、ひどい目にあってるの。どうして、死のうとしたの?」
「死ぬ? ごめんなさい。ボクは、何も覚えていなくて…」
「覚えていないの?」
「はい。ボクは、何かあなたに迷惑をかけてしまいましたか。ボク、学校を出たところまでは覚えているんですが、そのあとは、気がついたら、ここに寝ていて…」
「……」
あたしは、くるりと向きを変えて、窓に向かった。
ミトが、あたしを目で追い、
「どうしたんだ? こいつ、回収しなくていいのか?」
「もういいの」
あたしは、窓から身をのりだし、振り返り、
「ごめんね。お大事に」
と言って、ピョンと飛び降りた。
しまった。飛び方を教えてもらっておくべきだった。
あたしは、病室の窓から飛び降りて、そのまま地面に真っ逆さまに落ちた。でも、幽霊のあたしは痛くもかゆくもなくて、あまりにもかっこ悪いから、地面に横たわったまま、空を見上げていた。病室の窓から、ミトがほうきに乗って出てきて、静かに降りてきた。
「おい、真帆、お前、これでいいのか? あいつを回収しないんなら、お前を回収しなきゃいけないんぜ」
あたしは、無表情にコクリとうなずいた。
ミトは、少し優しい顔を浮かべて、微笑んだ。この子は、笑うと可愛い。
「よし。じゃあ、もう後悔しないな」
記憶がない人を責めても仕方ない。あたしは、死のうとしていたんだから、ここで死ねるんなら、それでいいじゃない。あの子が、もう少し憎たらしい子だったら、少しあたしも考えたけど、どこにでもいる普通の子だもの。あたしだって、いろいろなことがあったけど、今はもう、思い残すことはない。
ミトが、ブツブツと呪文を唱えた。
すると、ミトの頭上から雷雲とともに、ミトの体くらい大きな鎌が降りてきた。ミトは、鎌を手に取ると、頭上に振り上げた。
「真帆、お前の魂を回収する」
ミトが、鎌を大きく振り上げた。
「……」
ミトは、鎌を振り上げたまま、空を見上げて、にやりと笑った。
「ふんっ。遅かったな」
「真帆さーん!」
夜空から、ソラが、ほうきに乗って、一目散に飛んできた。
「真帆さんに手を出さないでください」
ミトが鎌をかまえて、ソラに向かって振り上げようとした。ソラは、背中のリュックサックからステッキを取り出すと、右手で力一杯、振り降ろした。
「私だって! ワン、ツー、スリー!!」
ぱあーん!!!
ソラがステッキを振り下ろすと同時に、花火が炸裂した。カラフルな光の玉が、四方八方に乱れ飛んだ。ミトは、思わず目をそむけた。花火はあちこちをはじけて、飛び散ると、無数の花びらとなって、吹雪のように舞った。
空から、赤、青、黄、ピンク…、いろんな色の花びらが舞い降りた。
ミトが目を開けると、周りは花びらに埋もれていた。
病院を訪れた人たちが、季節外れの花吹雪をぼう然と見上げていた。
ミトは、ハッとして、足下にある花びらをかき分けて、あたしの姿を探した。が、すでに、あたしの姿はなく、両手に花びらを握りしめて、悔しがった。
「く…くっそー!」
「きゃあーっ!」
あたしは、ソラのほうきの後ろに乗って、もがいていた。ソラのほうきは、右へ左へと方角を変えて、まるでジェットコースターのように飛び回った。ビルの壁や電柱にぶつかるたびに、あたしたちは跳ね返り、クルクルと回転した。
「しばらく我慢してください。何たって、私がほうきで飛ぶのは、150年ぶりですから」
「そういうの、ペーパードライバーっていうんじゃないの?」
「そうともいいます!」
「いやだ、死ぬーっ」
「大丈夫。もう死んでますから!」
夜空にあたしの悲鳴が響き渡った。
(つづく)
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ソラとあたしは、何とか病院の屋上に不時着した。平衡感覚がなくなって、フラフラする。
「もう、あまり時間がありません。本当に死んで死後硬直が始まったら、魂を戻せなくなります。だから、真帆さん、お願いですから…」
ソラが、あたしの腕を取り、パチンと指を鳴らした。
そこは、あたしの病室だった。
あたしは、相変わらず病室で眠ったままだった。パパは、あたしの手をしっかり握っている。ママは、横で今にも泣きそうな顔をして、あたしを見つめている。かすみは、必死にあたしを呼んでいた。
「お姉ちゃん!」
あたしがいなくなったら、あんたが長女になるんだから、しっかりしなさいね。
そして、おばあちゃんは、病室の片隅で合掌し、「ナンマンダブ、ナンマンダブ…」とお経を唱えていた。
おばあちゃん、まだ死んでないってば…。
ベッドに横たわるあたしは、頭は髪の毛を切られて、包帯でグルグル巻きだし、顔色は悪いし、頬が少しこけていて、みっともない。少しくらいお化粧したかったな。こんなことなら、普段からもっと身だしなみを整えておけば良かったかなと、場違いなことを感じた。
あたしは、自分の姿をもう一度、ジッと近くで見つめた。
美人じゃないけど、14年間、お世話になったあたし。胸はぺたんこだけど、お尻はやけに大きくて、不格好なあたし。好きな人には告白できなかったし、告白したと思ったらふられてしまった、可哀想なあたし。勉強はできたわけでもなく、できなかったわけでもない中途半端なあたし。
そう言えば、雪子はどうしてるかな。きっと、明日、学校に出たら、ビックリしちゃうね。ゴメンね。最後まで、心配ばかりかけた友人だったね。
ばいばい、あたし…。
あたしは、病室の片隅にいたソラのところへ向かった。ソラが、少しひきつった顔をした。
「真帆さん?」
「ありがとう。あたし、生き返らない」
「あの、冗談言わないでください。何のために私がここに連れてきたと思っているんですか。みんな、あなたが生き返るのを待っているんですよ」
「もういいの。みんな、一人になるわけじゃないもん。あたしがいなくても、元気にやっていけると思う」
ソラは、あたしの腕を引っ張って、ベッドの横に連れていった。
「いつまでもわがまま言わないでください。あなたには、家族も、友達もいるでしょ。死ぬ理由なんてないんです」
「でも、生きる理由もないもん」
「そんなの、みんな同じですってば。それぞれ理由を探しながら生きるんです。死んだら、何もかも消えてなくなるんですよ」
「あたし、ソラといっしょに魂を戻す仕事をするよ。あたしみたいに迷子の魂って、たくさんいるんでしょ。その方が、人助けになるもの」
「そんなの人助けじゃありませんってば。私がしていることなんて、ちっぽけなことなんです。生きる意味も、死ぬ意味も、その人しか気づくことはできないんです。私たち天使は、ただ魂を回収するだけ。それだけなんですから」
「そんなことないよ。あたし、こうやってソラに会ったから、命って何だろうって考えたんだよ。ソラは、立派だよ」
突然、ベッドに横たわるあたしが、けいれんを起こした。体をねじらせて、苦しそうに息をしている。
当直の先生や看護師が、病室に飛び込んできた。
「もう時間がない。真帆さん、生きる理由なんて、生き返ってからいくらでも考えればいいじゃないですか。私、自分の仕事なんてどうでもいいんです。その人が本当に死にたいっていうなら、その魂を回収しても構わないと思う。でも、あなたには、生き返ってほしい。もっとたくさん人を愛して、もっとたくさん愛されてほしい。私が生きられなかった分まで、生きてほしいの。しっかりして、真帆!」
「もういいの!」
心電図のモニターから、心音が消えた。
先生が、腕時計で時間を確認すると、静かに頭を下げた。
「ご臨終です」
「真帆!」「お姉ちゃん!」
ママとかすみが大きな声で泣いた。パパは、グッとこらえていたけど、涙が止まらなかった。おばあちゃんは、相変わらず、「ナンマンダブ」と唱えていた。
(つづく)
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ソラは、病室の片隅で、ひざを抱えてうずくまっていた。うつむいた顔は、泣いているのか、怒っているのか分からない。
「ソラのせいじゃないよ。あたし、自分で生き返るのはやめようって思ったの。だから、気にしないで」
ソラが、静かに顔を上げた。
「もう私の仕事は終わりました。あとは、ミトが、真帆さんの魂を回収に来ます」
「そっか、回収されるんだもんね」
ミトはこれで、正々堂々、あたしの魂を回収して、天界に帰ることができる。それですべては終わる。
「真帆さん、私は、ミトが言っていたように、自殺した魂じゃないんです。朝起きたら、ママが、いっしょに死のうって言ったんです。手をつないで、すぐ近くの橋まで歩いて、そこで体中をひもで縛って、川にダイビング。どぼーんって」
「ひどい…」
「ううん」
ソラは、少し優しく微笑んで首を横に振った。
「私は嬉しかったです。ママが、自分といっしょに何かをしてくれるなんて、初めてだったもの。いつも不機嫌で、私をぶったり、蹴ったりして、本当は私のことなんて愛していないと思ってました。でも、川から飛び降りる前、ママは私をギュッと抱きしめて、泣いていたんです。ママといっしょにずっといられるなら、どこにでもついていきたいって思いました。だから、私、ママのこと、全然恨んでいないんですよ」
「それで、天使になったの?」
「はい。自殺した魂は、生まれ変わることができません。私は、事情が事情だからって、大天使様から、七百八十年間、さまよえる魂を救う仕事を授かったんです。それが終わると、私は、生まれ変わることができます。どこかの誰かに…」
ソラは、あたしを見上げて、真剣なまなざしを向けた。
「真帆さん、赤ちゃんってね、可愛いから愛されているわけじゃないんです。愛してあげないと、弱くて死んでしまうからなんです。独りぼっちで生きていける人間なんて、どこにもいない。みんな、どこかに欠点や弱点があって、だからこそ、愛されているんです。真帆さんも、きっと同じなんですよ。私は、幸か不幸かで魂の価値が決まっているわけじゃないと思うんです。生きること、それ自体に価値があるんです」
「もう遅いよ。あたしは、本当に死んじゃったんだから」
「そうですね」
ベッドに横たわったあたしの顔に、白い布がかけられた。どこかのドラマで見たような場面を、あたしは今、目の前で見ている。
それから、たくさんの時間が過ぎたような気がする。窓の外が、少し明るくなりかけていた。
急に病室の扉がバタンと開いた。
そこには、悟くんがいた。
「ああ、森本くん、真帆も待っていたと思います。さあ、こっちで話しかけてやってください」
パパが、優しく悟くんを招き入れ、顔の白い布を外した。
悟くんは、走ってきたからだろうか、激しく息をしながら、動かなくなったあたしの手を握った。
「水沢、お前、どうしてもっと早く、告白してくんなかったんだよ。俺、ぶきっちょだからさ、真正面向いてあんなことされたら、恥ずかしくてさ、答えられなかったんだよ。こんな早く死んじゃったら、俺、どうしたらいいんだよ。ごめんな」
あたしは、悟くんのすぐそばまで近寄った。
あたし、ここにいるよ。
「俺、本当は怖かったんだ。子どもの頃、心臓のデッカい病気してさ、何時間もかかる手術もしたんだ。ちゃんと恋愛とか、結婚とか、できるのか不安だったし」
悟くんは、シャツのボタンを外して、胸元にあたしの手を押しつけた。
「でもさ、俺の心臓、動いてるだろ。なっ、触るとドキドキって、動いてるのが分かるんだ。これって、生きてるってことだよな」
どくん、どくん、どくん、どくん…。
規則正しい心臓の鼓動。止まることのない永遠の営み。
どくん、どくん、どくん、どくん…。
その鼓動を、あたしは、確かに手のひらで感じていた。驚いて、あたしは、自分の手を見つめた。
「世の中って不公平だな。どうせ死ぬんなら、俺みたいな死にぞこないから先に殺せばいいのに…」
すると、頭上に突然、雷雲が現れ、大きな鎌を掲げたミトが雷とともに降りてきた。
「よくぞ言った!お前の魂から回収してやる!」
ごんっ!!!
ソラが、ミトをげんこつで殴った。ミトが、悲鳴を上げながら落下した。
「今、いいところなんだから、ジャマしないで!」
あたしは、手のひらに感じる鼓動に集中していた。
どくん、どくん、どくん、どくん…。
「これを感じるたび、俺、ちゃんと生きなきゃって思う。いつかは止まるんだから、それまでは、逃げちゃだめだって」
どくん、どくん、どくん、どくん…。
悟くんの鼓動を感じながら、あたしは、いつの間にか、あたし自身の鼓動も感じようとしていた。あたしにも、かつてあった心臓の規則正しいリズム。
どくん、どくん、どくん、どくん…。
あたしの背後に、ソラがそっと立った。その横には、いつの間にか復活したミトがいて、「こほん」と咳払いした。
「さあ、ミト、どうしますか?」
「わあーったよ」
ミトは、足を大きくあげて、あたしのお尻を蹴り上げた。
蹴られたあたしは、宙に舞い、目の前のあたしの“遺体”に向かって飛び込んだ。
「さよなら、真帆さん」
最後に、ソラの声が聞こえた気がした。
どくん、どくん、どくん、どくん…。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ…。
確かに心電図のモニターが脈打っていた。
悟くんは、胸元にあるあたしの手がかすかに動いたのに気づいて、モニターを見た。
「水沢?」
どくん、どくん、どくん、どくん…。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ…。
あたしの心臓と、悟くんの心臓が、いつの間にか、ハーモニーを奏でていた。
あたしは、ゆっくりと目を開けた。そこには、顔をのぞき込む悟くん、パパ、ママ、かすみ、おばあちゃんがいた。
「真帆?」
パパが、素っ頓狂な声をあげて、「せんせーっ」と叫びながら部屋を飛び出していった。
ママとかすみが、泣きながら二人してあたしに抱きついた。
おばあちゃんは、そのまま腰が抜けたように床にへたりこんで、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と合掌した。この人っていったい…。
窓の外を見ると、ほうきにまたがったソラとミトが、仲良く飛び立つところだった。ソラは、笑いながら手を振っている。ミトは、ふてくされた顔だった。あの二人、案外いいコンビなのかもしれない。
あたしの長い、長い、バレンタインデーは、こうして終わった。
(つづく)
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あたしは、一週間ぶりに学校に向かう通学路を歩いていた。頭を怪我したせいで髪を切ってしまったから、ほんとはもっと休んで、髪が伸びるのを待ちたい。でも、家にいて、ジーッと髪が伸びるのを待っているのも、それはそれで疲れる。
そんなわけで、生まれて初めてのショートカットになったあたしは、何だか頭蓋骨の隙間を風が吹いてるような心地を味わいながら、テクテクと歩いていたのだ。
「真帆ー!」
その声の主は、雪子だった。
雪子は、息を切らしながら走ってきて、あたしの頭をまざまざと見つめた。
「かわいいじゃん」
「言わないで。悲しくなる」
「どうして? ボーイッシュな真帆も、なかなかイケてるよ」
「ボーイッシュを通り越してるもん」
制服には帽子がない。とはいえ、無理矢理帽子をかぶると、これまた不格好になる。やっぱ、休めばよかったかな。
校門の前までさしかかったとき、道の反対側から歩いてくる悟くんを見つけた。
お互い、「あ…」って立ち止まる。
しばらくの沈黙をおいて、悟くんがしゃべった。
「もう退院したのか」
「うん」
「じゃあ、もう大丈夫なんだ」
「うん」
「そっか」
「うん」
「じゃな」
「うん」
悟くんが、去っていく。その背中を見送るあたしと雪子。
生き返って、最初に見たのは、悟くんの顔だった。今も、手のひらに暖かさが残っているような気がする。どくん、どくんと、脈打っているような気持ちになる。
ハッと気づくと、雪子があたしの顔をのぞきこんでいた。
「何、雪子?」
「『もう退院したのか』『うん』『じゃあ、もう大丈夫なんだ』『うん』『そっか』『うん』『じゃな』『うん』」
雪子が、身振り手振りで、あたしと悟くんの真似をした。
「こら、雪子…」
「あんたたち、いつの間に接近してんの?」
「接近なんかしてないよ。退院してから初めて会ったんだし」
「へー」
「ほんとだよ」
「ふーん。退院してから、ね。じゃあ、入院しているとき、何があったのかなあ」
話してもいいけど、信じてもらえないよね。空を飛んだとか、生き返っただとか。
「真帆…」
雪子が、ジッとあたしを見ている。
「ん?」
雪子は、あたしをギュッと抱きしめると、
「おかえり」
と、つぶやいた。
「うん。ありがとう」
雪子に抱きしめられながら、あたしは、真っ青な空を見上げていた。今もどこかで、あの空の向こうを天使たちが忙しく飛び回っているのだろうか。あたしのように、迷子の魂を追いかけて、時には泣いたり、時には怒ったりしながら、大切な命を守ってくれているのだろうか。その中には、ソラとミトも、きっといるんだろう。
へんてこな天使さん。
あたしは、独りぼっちじゃなかったよ。
生き返って初めて、それを感じている。
本当にありがとう。
「『ありがとう』ですって」
主が留守の水沢宅の真帆の部屋に、ソラとミトがいた。ソラは、机の上にあった日記帳を読みながらにやけている。ミトは、相変わらずふてくされた顔で、ベッドに寝っ転がって天井を見上げている。
「おい、いつまで他人の日記読んで、ニタニタしてんだよ。早く仕事片づけようぜ」
「ミトも読んだらいいじゃないですか。感謝されているんですよ」
「けっ。人間ってのは、お気楽でいいや。こっちは、回収するはずの魂を回収しなかったから、大天使様から大目玉を食らったんだ」
「ほんと、ミトらしくないことしましたよね。あの男の子の魂をもらわないと、数字が合わないですもんね。どうして?」
「どうしてって…。あああっ、わかんねえよ、そんなこと。俺、何であんな人間くさいことしちまったんだ?」
「ほんと、まるで人間ですね」
「おかげで、天界での修行を三百年も延長させられたんだ」
「ご愁傷さまです」
「それより、おいっ、何でお前が修行を免除されて、生まれ変わることができるんだよ!」
「大天使様が、今回のことをとても高く評価してくださって、予定より早く生まれ変わることになったんです。残念ですね。三百年もずれたら、同じ時代に生まれ変われませんもんね」
「ああ、腹立つ。早く撤収しようぜ」
「はい。その前に、彼女たちから、私たちの記憶を消さないと…」
ソラは、背中のリュックからステッキを取り出すと、日記の上で一回くるっと回した。すると、日記の文字が水ににじむように消えていった。
「これで、よしっと」
ミトが、真っ白になった日記帳を見て、
「なんか…、寂しいな」
と、沈んだ表情でつぶやいた。
「はい。でも、またどこかで会えますよ、きっと」
ソラが、満面の笑みを浮かべた。
真帆の部屋から、ほうきにまたがったソラとミトが出てきて、水沢家の周りを名残惜しそうに、何回か旋回すると、西の空へと飛び去った。
その日の夕方、宵の明星のそばを2つの流れ星が仲良く流れた。
(おわり)
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この物語は、2000年前後に書き上げた小説です。当時は、ケータイ電話も普及していなかったし、ネットはダイヤルアップ回線だった時代でした。今こうして、一部を書き直してアップしてみると、随分古風な作品だなと思います。
物語の元になったのは、中嶋朋子さんと柳葉敏郎さん主演の映画『四月怪談』です。映画はさらに昔に遡ること、1988年に劇場公開されました。当時、中嶋朋子さんは、16歳。柳葉敏郎さんも、『踊る大捜査線』の遙か昔のことです。オイラは、大阪・梅田のミニシアターで、大学の講義をさぼって、この映画にたまたま出会いました。
映画は、必ずしもヒットしなかったけれど、何度観ても、何歳になって観ても、最後のシーンには泣けてしまいます。
人は何故生きるんだろう。そんな当たり前のテーマを、ちょっとコメディータッチで、ちょっとせつなく、蛍ちゃんでお馴染みの中嶋朋子さんが演じています。
自分にとっての憧れを、小説にしてみたかったのかもしれません。
もっとも、今のオイラには、こんな小説を書く度胸も感性もありません。
つくづく、人間というのは、年を取る動物なのですね。オイラを知っている方は、その辺を考慮に入れつつお読みください。
なお、このエントリーだけ、トラックバックやコメントを受け付けられるようにしてあります。
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